4月7日 (土)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第99弾!  2012.4.7(土)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第99弾!  2012.4.7(土)  たかやん

加織ちゃん
久しぶりに加織ちゃんに会った。お姉ちゃんの千織ちゃんにも、お兄ちゃんの元紀君にもあった。後藤家のみんなと会えて、僕は幸せだった。僕の初恋の相手の加織ちゃんは、今でも綺麗で・・・あの頃のままで・・え?そんな訳は・・・・ああ、やっぱり夢だった。目を覚ますと、携帯の時計は4時27分だった。

朝練
空を朝練に連れて行き、家に帰ってからカレーを食べた。そして、ラケットを持って、テニスクラブへ・・・。ひとみと二人で1時間程練習してから、空を迎えに行った。短パンでいる僕に「若いですねえ!」とFコーチ。「テニスやってきたから、暑くて・・・」と、僕。寒い中で練習をしていて、最後には半袖・短パンになる・・・五中や六中での朝練を思い出した空父であった。

春祭り
智から電話があった。「早く来ないと、旨いカツ丼が売り切れちゃいますよ!」「おう、今から行くところだよ」Y課長と開会のセレモニーに行く約束をしていたのだ。そして、その場所に行ってみると・・・

サンバ
音楽に合わせて踊る3人の女性・・・どう見ても裸にしか見えないような衣装で踊る3人に、おじさんはたまげたのであった。

司会
そのステージで司会をやっていたのが、五中4期生のババツで・・・いたる所に知り合いが居て、それだけで楽しかった。


「あの、私甲神先生に1年の時から3年間担任して頂いて・・・大学卒業したばかりの甲神先生で・・・」「えーっ!そうなんですか?僕にとって、甲神嵒は兄貴そのものなんです。神宮司先生はお母さんで・・・」「木下先生や望月先生にも・・・」「えーっ!キノッピーにモッチャン!!みんな大好きな先輩ですよ。」嵒のお陰で、Kさんにも会えたのだった。


菜の花畑を見て、「ちょっと写真に撮ってくる!」と駆け出したのは空。二人で記念写真も撮って・・・「明日また来る!」と、春祭りが気に入ったようだった。

ブラックボード
1980年、全国に校内暴力が吹き荒れた頃・・・僕は五中の教師だった。あのテレビの学校と違うところは・・・当時の五中にはその嵐は吹いていなかったことだ。当時の五中には校内暴力の嵐は吹きようがなかったのだ。あの頃の五中には「何があっても子どもを見捨てない!」という精神が教師たちに行き渡っていたような気がする。学校にバイクで侵入してきた奴らもいたけれど、頭のいい教師たちの方が上を行っていて・・・警察の出る幕などなかったのだ。警察に捕まった子を引き取りに行ったことは何度もあるけど、子どもを警察に連れて行ったり、引き渡したりすることは決してなかった。何があってもだ。ヤクザから子どもたちを奪い返した時だって、警察の助けは借りなかった。それが良いことのか、悪いことなのかは分からないが・・・子どもたちといつでも向き合っていたことだけは胸を張れる。金八なんかに負けられない、本物の教師の意地があったのだ。

ゲンコツ
そりゃあ、ゲンコツもけつ竹刀も、100発ビンタもハリもあったけれど・・・親を学校に呼び出したりするような情けないことはしなかった。学校であったことは学校で落とし前をつけたし、ゲンコツひとつで全て帳消しにしていたのだ。教師も親も肝が据わっていたと言うのかな・・・・そんな目に見えない信頼感のようなものがあったことも確かだ。小さなことで目くじらを立てるよう先生もいたけど、子ども達から相手にされていなかった。「服装の乱れが心の乱れなんです!」なんて、まじめな顔をして言う先生もいたけれど、そんな訳はないということは、大学を卒業したばかりの僕にでも分かった訳で・・・僕は子どもたちと一緒に意味の分からない“学校のきまり”に抵抗していた気がする。

今日の写真1
サンバを踊るお姉さん?達です。お姉さん達のサービス精神はもの凄く・・・口を開けっ放しのお父さんもあちこちにいました。

今日の写真2
左から、みんなの党の城口さん、智議員(大山)、和久議員(塩田)です。明日は僕自身が“黒目川流域川づくり懇談会”として参加します。朝、魚を採って、水槽で展示します。

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