11月22日 (月)  「たかやん議員日記」2004.第250弾! 

「たかやん議員日記」2004.第250弾!  11月22日(月)

秩父
今日は昔の同僚の小山俊彦先生に「コピー機もらってくれない?」と誘われて『いいよ。』と秩父まで息子と二人で行ってきた。途中二人で色々な話をしながら下道を走った。長男の亮は俊さんに担任をしてもらったことがあったので、久しぶりの再会ということになる。
「おう、亮か!」「おひさしぶりです!」14歳だった少年が22歳になって登場したのだから、担任した方は「おう!」となる。俊さんは全然変わっていなかった。『変わってないねえ・・』というと「そっちも全然。とても議員には見えないよ。」と言われてしまった。

俊さんは同じ理科だったが、得意分野が全然違っていたのでお互いにマイペースだった。同じ学年の時は全クラスを半分に分け、1分野は俊さん2分野は僕が担任したこともあった。試験範囲もクラスによって違うことなどは当たり前で、俊さんは俊さん。たかやんはたかやんという楽しいコンビだった。俊さんが入院した時は僕は俊さんの授業をほとんどカバーした。空き時間は全部授業に行ったし、1時間に二つのクラスを教えたりして臨採なしで、数ヶ月を乗り切ったのだ。空き時間がゼロに近くて死にそうだったけど楽しい思い出の一つだ。

昔市だか県だかの委嘱を受けて「コンピューターを使った授業」のプログラムを作った時代があった。僕は理科だけどパソコンは全くダメ。その時は数学と理科の授業をやることになったのだが、理科は勿論俊さんが担当することになった。その準備はかなり大変で発表の数ヶ月前から真夜中まで学校に残っていた。僕は何も手伝えないので、生物準備室に同じ理科のF先生の電気炊飯器を持ち込んで「さんま焼き定食だよー」「納豆定食」「あったかいうどん」「すき焼きだあ!」と毎晩のように料理を作って応援をしていた。こういう時、管理職は冷たいものでさっさと帰ってしまうのだ。「頑張ってね。」の一言もなく・・・・。
そしてやがて僕は校長室に呼ばれ生物準備室でご飯を炊いていたことを怒られたのだった。

秩父からの帰り大佑から電話があった。『どうした?』「どうしたんですか?」『何が?』「1時半から議案説明会ですよ。」『わお。手帳に書くのを忘れてた!』「今どこですか?」『秩父・・・』「じゃあ無理ですね。」『ごめん・・・』俊さんに会うのが嬉しくて、すっかり説明会のことを忘れていたのだ。

議案説明会は不思議な会議だ。革新無所属と共産党には声がかからない。「与党」と呼ばれる会派だけ説明会に呼ばれる。でもこういうシステムだと議会で質問とか反対はしにくいと思う。今は与党とか野党とかいっている場合じゃないくらい、新座市の財政は苦しいのだから、全職員、全議員の知恵を集めて考えるべきだと思う。新座市がたくさんの借金を抱えているのは市長だけの責任ではない。その予算を通した議会の責任なのだ。と僕は思うようになってきた。