11月6日 (土)  「たかやん議員日記」2004.第234弾! 

「たかやん議員日記」2004.第234弾!  11月6日(土)

今日は久しぶりに「命の応援団」に参加した。大勢の人たちが中央公民館の和室に集まった。所沢からも春日部からも駆けつけてくれた方がいた。陵平のことを4年たった今も覚えてくれている人たちが集まった会だった。「命の応援団」に今まで二中は勿論、教育委員会からも参加した人はいない。学校に責任がないと本気で思っているのなら、胸を張って参加すればいいのに・・・・。4年間、一度もこの会に参加できなかったという事実こそが
「学校に責任があった。」と認めていると僕は思う。

政江さんからのメール

昨日は、事前準備も含め、集会のためにお力をいただきありがとうございました。
「忘れてはいけない!」と思う人たちが集まってくれた会だと思います。

Hさんの本音には、びっくりしましたが、
彼女の思いがはっきり見えて、今にして思うとさっぱりした気分です。
「ご両親はつらいでしょう。」
そうです。当時の出来事は思い出すと辛いことばかりです。
ことに、学校や教育委員会の人たちの態度には腹が立ちます。
だからこそ、議会の一般質問に取り上げるに値するものと言えるのではないでしょう
か。
だからこそ、傍聴にも出かけていくのです。
「忘れてしまいたい。」と思う人たちに向かって、
時には「忘れていたい。」と思う私自身にも、
「忘れてはいけない!」という言葉を差し出していきたいと思うのです。
昨日の集会で、すぐに発言できなくて残念に思っています。

2年前にカナダに研修に行ったときに、目が覚めるような想いを体験しました。
テーマは「性虐待」でしたが、終盤の演習で、マギーという講師は、
「私たちは、世界中の美しいものを見るために生まれてきたのです。」
という言葉を発してくれました。
その言葉を聞いた瞬間に、私は生き続ける意味をやっとつかむことができたのです。
(もちろん通訳の方の日本語で。素晴らしい通訳の方でした。)
陵平がいなくなり、さらにたくさんの醜いものを見聞きし、ズタズタになっていた私
でした。
それでもなお、生きているのは、
地球にも人間にも、まだ私が見たこともない美しいものがあるんだから、
それを見なければ死んでしまうわけにはいかないでしょう、……
そうでなければ、生まれてきた意味がないでしょう、……
陵平は、たくさんの美しいものたちを全部見ないままに出かけてしまったけれ
ど、……
陵平の分まで私が見届けなければならないでしょう、……
そんな風に私に語りかけてくれていたように感じました。

久しぶりに生命の応援団を開き、
懐かしい方々、若い人たちと時間を共にすることができて、
「美しいものを見せていただけたなぁ。」と感謝しています。
阿世地くんは、中学時代もよく小学校に遊びに来てくれていましたし、
生命の応援団の集会にも足を運んできてくれましたが、
尾崎くんの方は、今回突然の参加で、私自身びっくりしてしまいました。
陵平が元気でいたら、こんな再会はしなかったでしょう。
陵平が元気でいたら、高邑さんにも出会わなかったように。
和伸くんの現れ方も印象に残ります。
学校帰りだったのでしょうね。
和室の入り口の所で、遠慮がちに首を伸ばして中の様子をうかがっていました。
私がたまたま気がついて「どうぞ。」と言えて本当によかった、と思いました。
たかやん塾の若い人たちと出会い、そして率直な意見を聞けるのも、うれしいことで
す。

どんなに小さくても、どんなにささやかでも、
「美しいもの」を見つけること、それを大事にしていくこと、続けていくこと、つな
げていくこと、広げていくこと、
……をしていきたいと、今回はまた改めて思いました。

高邑さんの一般質問は、
私が忘れかけていたものを思い出させてくれている、と思うことが多々あります。
陵平の存在、陵平の命にかかわる大切なことであり、
それにかかわり続けていること自体、「美しいもの」と私は思えます。
陵平もきっときっと見ていると思います。

12月議会での第4弾、私も覚悟して臨みたいと思っています。
当時のことを超える辛いことなど、たぶんあり得ないでしょう。
思い出す作業は、供養と思っていますので、何でも聞いてください。

おおぬき まさえ

どんなに小さくても、どんなにささやかでも、
「美しいもの」を見つけること、それを大事にしていくこと、続けていくこと、つな
げていくこと、広げていくこと・・・・

僕も今日の「命の応援団」で「美しいもの」見ることができたと思っている。

たかやん