11月7日 (日)  「たかやん議員日記」2004.第235弾! 

「たかやん議員日記」2004.第235弾!  11月7日(日)

観閲式
国道254は大渋滞だった。僕の車のすぐ後ろに右翼の車が10台くらい連なって走っていたので、自衛隊方面への道路が封鎖されたのだ。僕の車は254から右折できずに30分近く止まったままだった。POLICEと右翼と自衛隊。それにデモ隊が加わって、道路は大変なことになっていた。

観閲式にあれほどの人が集まってくるとは正直思っていなかった。東京ドームを満員にするより遥かに多い人間がそこには居た。小泉純一郎が登場したのは10時33分。人々が
「わーっ!」と歓声を上げ、日の丸を打ち振っているのを見て時代を遡っているような感覚になった。知っている顔の国会議員達はみんな黒塗りの車で登場した。

僕の目の前には陸・海・空合同音楽隊。観閲部隊。防衛大学校学生隊。防衛医科大学校学生隊。少年工科学校生徒隊。普通科部隊。空挺部隊。陸上女性自衛官部隊。中央病院高等看護学院学生隊。海上自衛隊部隊。航空自衛隊部隊。航空女性自衛官部隊が勢ぞろいしていた。多分小泉純一郎が到着する何時間も前から彼らはそこに整列していたのだろう。「貧血」で倒れる自衛官もかなり居た。

観閲式が終わり、ほっとした顔の自衛官達が昼食の弁当を食べていた。この為に想像を超えるような練習をしてきたらしい。そのせいかまだあどけない顔をした自衛官達はみな笑顔だった。

戦死した僕のおじさんもきっと今から65年前には所沢の航空兵学校では同じような顔をして笑っていたのだろう。死んだ父さんも、そして伯父さんも観閲式を兵隊として経験したのだろう。

自衛隊が誕生して50年。丁度僕と同じだけの年齢だということだ。僕の親友のお父さんは自衛官だったし、友達の弟も自衛官だ。そして僕の教え子達の中にも何人か自衛官がいる。だから僕は自衛隊が嫌いではない。自衛官に戦死して欲しくないのだ。自衛官に人を殺して欲しくないのだ。

だから僕は、目の前を通るミサイルや戦車が人殺しに使われないように祈っていた。自衛隊の武器がどんな人の命も奪わないことを祈っていた。そして若い自衛官達が誰一人戦死しないことを祈っていた。この50年間で殉死した自衛官は1749名。黙祷をしながら僕はまた祈ったのだった。