12月11日 (土)  「たかやん議員日記」2004.第269弾! 

「たかやん議員日記」2004.第269弾!  12月11日(土)

インフルエンザ
昨日から体調がおかしかったのだが、今朝はピークが来た。頭がボーっとしてふらふらだった。でも夕方からは友達と会う約束があったから頑張って治すことにした。

友達とは久しぶりに会った。3人とも元気そうだった。新座の中学校のことをよく知る友達から僕は色んな話を聞いた。
新座の中学校の教師達がかかえるストレスの話を聞いた。自分の気持ちをストレートに子ども達にぶつけていけないもどかしさの中で、苦しんでいる先生達の姿が目に浮かんだ。上からの押し付けで、やりたくないことを子ども達にしている先生たち・・・辛いだろうなあと思う。55歳になると昇給がストップする話も初めて知った。ボーナスも給料も昔より下がっているということも聞いた。「邑さん、やめたい人がたくさんいるよ。」管理職と子ども達の間に入って、苦しんでいる先生達の姿が見えてきた。

僕は好きなように生きてきた。五中時代はいい管理職に恵まれ、学年の中間達にも恵まれた。五中が創立の時からいたのだから、自分自身が「五中」そのものだった。六中時代は色々あったけど、自由にものは言えた。いい仲間もたくさんいたし、いい管理職にも恵まれた。職員会議で意見が激突しても、仲間は仲間だった。少なくても教師と生徒が一緒に泣ける学校だった。だから僕は今でも五中と六中は大好きである。いつでもどこでも「五中と六中の校歌」は日本で一番上手く歌える自信がある。

二中は違った。上から一方的にものを言われ、そして意見をいうと生意気だと潰された。だけど僕には子ども達がいた。僕と同じ感性を持つ子ども達がたくさんいた。僕は彼らに救われ一年間なんとか生きることができた。
今の季節は朝勉をしていた。五中でも六中でもしていたように、二中でも子ども達と朝早く教室に来て勉強していたら・・・・管理職に怒られた。二中の教師と二中の生徒が二中の教室で朝勉強して怒られたのだ。「他の先生達の許可を取ったのか?」というのが理由だった。どうやら学年の歩調を乱したということらしい。「同一歩調、同一行動」を僕はしていなかったらしい。
俺は体育大学で育っていない。「同一歩調、同一行動」そんなのは無理だ。自由な学校で育ったのだから・・・・。大学は体育会だったけどそういう先輩はいなかった。先輩達は僕らより教養があったから尊敬されたのだ。
でも分かって欲しい。僕は二中が嫌いな訳じゃあない。あの時の二中の雰囲気が嫌いなだけなのだ。子ども達は最高だった。僕は二中の子ども達が大好きだったのだ。

息苦しい
いつから新座の学校がこんなに息苦しくなってきたのだろう・・・・。ルールを守ることが命を守ることよりも大切になってしまったのだろう。

僕は茶髪は嫌いだ。化粧する女の子も嫌いだ。だけど、その子達が学校に来たら、喜んで教室に入れる。だって学校が好きでくるのだから・・・・。「茶髪は嫌いだよ。似合わないよ。」とは言うけれど、「ルールを守らないのなら帰れ!」とは言わない。授業中に騒いだら「お前達に人の勉強する権利を奪う権利はない!」とつまみ出すが、どんな格好をしていようがそれでは判断しない。「人を外見で判断してはいけない。」というのは小さい頃から両親に嫌というほど言われていたことだ。僕には学校のルールより、両親の教えの方が大事だ・・・。ルールは正しくないことがあるが、両親の教えはいつも正しいし、世界中のどこででも通用する。

今日は新座の中学校の色々な話を聞いた。新座中、二中、三中、四中、五中、そして六中。僕が知らない話をたくさん聞いた。もうすぐみんな定年だから僕に話をしても「報復人事」の対象にはされないだろう。それとも六中のテニス部の顧問達をみんな他市へ飛ばしたように、邑の仲間はみんな飛ばすのだろうか・・・
新座の先生達。僕と会っても笑顔で話しをしないように。どこかに飛ばされてしまうかも知れないから・・・・。冗談ではありませんよ。本当に気をつけてくださいね。と言っても何十人も飛ばすのは無理だろうけど・・・・。

新座の先生たちはいつからものを言えなくなってきたのだろう。いつから・・・・僕はその答えを知っている。