12月15日 (水)  「たかやん議員日記」2004.第273弾! 

「たかやん議員日記」2004.第273弾!   12月15日(水)

今日はまず9月議会での「一般質問」の様子をごらんください。新座市教委教の信じられない答弁をじっくり読んでください。ではどうぞ。


◎高邑朋矢議員

〇議長(三村邦夫議員) 続いて、11番、高邑朋矢議員の一般質問を許可いたします。
 11番、高邑朋矢議員。
   〔11番(高邑朋矢議員)登壇〕
〇11番(高邑朋矢議員) 11番、高邑朋矢です。通告書に従って質問させていただきます。
 第1番目ですけれども、国際化教育特区、英会話のことについて質問します。新しい試みがスタートして1学期が終わりましたけれども、現在の状況、1学期の状況を伺います。
 資料要求として1学期の研修会、5月と7月に行われたということなのですけれども、そのとき出された意見、それから国際化教育特区関係の予算と学校図書との契約内容、これを資料要求しておりますので、よろしくお願いいたします。
 英会話のプログラムが、新しいプログラムがスタートして1学期が終わりました。私も幾つか授業を見させていただいて、いろんな人たちの声を聞く機会が非常に多くあります。ところが、残念ながら余りいい声が聞こえてきません。例えば小学校の先生からは、低学年の子供たちはとてもいいと、楽しそうにやっていると。先生も一緒になって、踊ったりしながらやっていれば、それでいいと。ところが、高学年になると、なかなかそうはいかないと。それから、インプットの時間というのがあるのですけれども、これはもう毎日なのです。その時間がどうしても小学校ではとれない。とれないために長い休み時間、20分休みというのでしょうか、それがあるそうなのですけれども、そのうちの半分をインプットの時間に使っている。そうすると、もう子供たちは遊びたくて遊びたくてしようがないのに、無理やり英語を聞かされている、こんな状態で果たして効果があるのか、そういう声なども聞きました。
 それから、中学校の先生なのですけれども、中1はいいと。だけれども、中2の子たち、あるいは中3の子たち、これはもう授業に全くなっていないと。廊下に出て話をしている子もいると、こういう状況があるのだということをぜひ伝えてほしいというふうに私に言ってこられました。
 それから、英語の助手の方です。やはり突然そういう学校に入って、余り教員としての経験がない方が英会話を教えるということで、AETとチームを組んで頑張っておられるわけですけれども、かなりしんどいと。子供たちが、英会話に取り組むという姿勢が見られないと、非常につらいという声も聞いています。
 それから、子供たちはやはりいろいろで、普通の英語の授業よりも発音がきれいなので、とても楽しいという子もいますし、何を言っているのかわからないという子もいます。これは、子供たちはいろいろなのです。
 一番大きなポイントとなると思われるAETの方たちからも大分意見を聞いたのですけれども、やはり小学校の低学年はいいけれども、高学年は非常に厳しいだろうと。それから、中学生になると、このシステムでは英会話ができるようになるとは思えないということをはっきり言われているのです。AETの方たちも、それぞれ自分たちのいろんな手法みたいなものを持っていまして、いろいろ研究されているわけですけれども、同じプログラムということで同じことの繰り返しをやると。これで本当にやれるのだろうかというような声がたくさん私に聞こえてきました。今私は、3月の議会のときにも言ったと思うのですけれども、英会話やることは 賛成なのですけれども、委託をするということを非常に疑問に思っているのです。要するに、現場にいる人が子供たちの様子を見て、プログラムをどんどん変更していくというのが基本的な姿ではないかと思うのです。新座市の英語の教員たちは、かなり有能な方たちもいますので、独自のプログラムを作成することは可能だと思いますし、それからAETの方たちにも何人も会いましたけれども、かなり優秀な方が多くて、やる気もあるわけです。ところが、みんな同じプログラムでこれをしなさいと、ただ繰り返しなさいと、そういう授業をやらされていることに、かなりの人がやっぱり苦痛を感じているというか、これはうまくいかないのではないかと思っている。そういうことを教育長はどういうふうにお考えでしょうか。委託をずっとこれ続けていくというお考えなのでしょうか、それをちょっとお聞かせください。
 それから、やはり多額の予算を組んで新しいプログラムができたわけなので、積極的に授業を公開してもらいたいと思うのです。2学期には、すべての学校で授業公開をやるということで、これはとても結構なことだと思うのですけれども、授業はやはりふだんの授業が一番大事なのです。公開授業というのは、私も長い間学校にいましたので、やはり特別な日なのです、特別な授業をやってしまうのです、どうしても。学校も突然きれいになってしまいますし、廊下に掲示物がなかったものが突然あったり、それから花が飾られたり、1時間目が突然清掃の時間になったり、いろんなことが実は行われるわけです。だから、それはふだんの授業とはやはり違うと思うのです。やっぱり私たちは毎日の授業を見せてもらいたいと、こう思っているのです。でも、なかなか見せてもらえません。何回か教育委員会を通して授業を見たいのだということを言っても、公開授業があるので、公開授業を見てくださいと、そういう言われ方をしてしまいます。
 私は、文教経済常任委員ですので特に思うのですけれども、せめて我々にはふだんの新座市の学校の様子を、特にこの英会話に関しては見せてくれてもいいのではないかなと思うのです。そういうおつもりがありますでしょうか、その辺をちょっとお聞きしたいと思います。
 2番目ですけれども、小中学生の学力低下が今全国的に叫ばれているところなのですけれども、新座市はどういう状況でしょうかということを伺いたいと思います。資料要求として、ちょっと訂正をお願いしたいのですけれども、今年度の学校別進学状況と、これはわかるわけないので、昨年度です。それから、進学先中、高等学校名、過去20年間と書いてありますが、5年間しか保存していないということで、5年間の公立中学校への進学率というのを資料要求しました。
 これは、どういうことかというと、やはり今新座市の公立の学校が市民の皆さんにどういうふうに見られているかということ、ここすごく大事なことだと思っています。やはり私立に負けないような学校にしようということで、私は随分昔笠原議員たちと一緒に頑張ってきた記憶がありますし、どうしたら私立や国立に子供たちが流れないで、新座市の学校って本当にいい学校だねと言って通ってくるか、これを考えることは物すごく大事なことだと思っています。
 それで、この間の体力テストの結果を見たのですけれども、新座市の子供たちの体力の平均は県に比べて非常に低かったのに驚いたのです。特に中学生は、ほとんど負けっ放しというか。学力の方も非常に心配になってくるわけです。それで、資料の中で学校別にどういう状況になっているのかということを要求したのですけれども、私は学校名すべて公表すべきだと思っています。個人名は、もちろんそれこそプライバシーの問題がありますので、公表すべきではないと思いますけれども、学校別にどういう学校に進学していったのか、どういう平均点だったのか、そういうことは市民にとってはとても貴重な情報なので、ぜひそれを公開していただきたいというふうに思います。
 三つ目は、3度目の質問になりますけれども、大貫陵平に対する質問です。何で引き続き言うかというと、3月、6月と質問してきて、いろんな資料もいただいたのですけれども、答弁もいただいたのですが、全く納得できない答弁、あるいは資料の積み重ねというふうに私には感じられるのです。それは、私だけではなくて、陵平の両親ももちろんそういうふうに感じているわけで。
 最初に陵平のお父さんのメールをちょっと読ませてもらいたいと思います。「改めて資料を読み返してみると、いろいろなことが当時そのままのリアリティを持ってよみがえってきました。陵平の死後、繰り返し学校や市教に対して働きかけていたのは、陵平以外のあの出来事の当事者、つまり一緒にお菓子を食べていたとされる子供たちが、決して陵平と同じ道をたどらないように万全の措置をとってほしいということだったのです。陵平が帰ってくることはない、だからこそほかの同じ体験をした子供たちがこれからきちんと生きていけるように、あるいは陵平のことを知った二中の子供たちが余分な負荷を背負わずに済むように、学校や市教諭の立場からできるだけのことをしてほしいという切実な願いがあったのだと思います。言葉が至らなかったり、思いが高ずることで誤解を生じたりとさまざまなことがあったかもしれませんが、一貫した思いは、同じ思いをほかのだれにも味わってほしくないということでした。
 そういった意味で、所沢高校の出来事はショックでした。あの問題をカンニングの是非という視点を持ち込んで論ずるのはナンセンスです。唯一の正しい視点は教師の暴力です。教員は、警察官ではないというごく正常な認識さえ持てれば、これはだれにでもわかっていただけることと思います。もし陵平の死に関して、私たちが働きかけたことが実を結び、いわゆる指導が子供たちの生きる力を奪わないようにするにはどうしたらいいのかということを教員が、教育委員会が真剣に考え、次の指導へと生かされていったのなら、所沢高校の出来事は起こらなかったのではないかと思います。そういった意味で、所沢の出来事は私の責任であり、新座市の責任であると思っています。
 陵平以外の20人の子供たちのメンタルなケアをすぐにでもという私の声に対し、校長も市教委も、そして教育長も言っていました。専門家に相談したが、20人の子供たちに対してほかの子と違う対応をするのはよくないという判断だったと。少なくとも私の知る限りの心理学の知識では、どこをどうひねってもそんな答えが出るはずはないのですが。そして、もう一つ、当時の学校の指導に問題がないというのなら、それなりの調査をして、何らかの裏づけをとって、そういった判断を下すべきであり、その基礎資料が一切オープンにされないのは、公害裁判などの例をとっても根拠のない主張と言わざるを得ません。校長に1度質問したことがあります。どういった調査をしたのですかと。これは、アポなしで押しかけていって話をしたときのことです。各担任から話を聞いていますと言ってメモを出してきました。子供たちがよく使うような、要するにカラフルな模様のついたメモ帳の切れ端です。種類の違う用紙が七、八枚重ねられていました。校長がそれを読み上げました。よく聞き取れない部分があったので、もう一度読んでもらえるようにお願いしました。明らかに最初のときと違う答えが返ってきました。もう一度読んでくださいとお願いすると、さらにしどろもどろになって、直後にもう時間がないのでと言って部屋を出ていってしまいました。個人的な感情ですが、何といっても悔しいのはこういった心ない人たちに陵平を二重三重に凌辱されることなのです。」これが、陵平のお父さんの隆志さんから来たメールなのです。
 私は、前回学校側と教育委員会の1か月間の具体的な動きという資料を要求しました。今皆さんのお手元にも多分あると思うのですけれども、なぜこれを要求したかというと、この1か月というのは、陵平の両親にとって非常に重大な意味を持つ1か月だったと思います。指導のやり方だとか、そういったことにもちろん疑問を感じていますし、それが原因だと今でもしっかり思っているわけですけれども、亡くなってしまった陵平はもうどうしようもないわけです。だけれども、その後1か月で何度も息子を殺されているような、そういう感覚を両親が持っていくわけです。これは、明らかに学校と教育委員会の対応がまずかったのではないか、私はそういうふうに思っているのです。それで、資料を請求しました。1か月間の学校長、担任の具体的な動き。具体的というのは、いつ、だれが、どこで、どれだけの時間、どんなことをしたのかというのが具体的なという意味だと思うのですけれども、この資料には具体的な動きがほとんどないのです。
 例えば10月1日に弔問とあります。校長等と書いてありますけれども、まずほかの人はだれなのでしょうか。それから、これ何時に行ったのでしょうか、10月の1日。それから、臨時職員会議がその日にありますけれども、これも何時から何時まで行われた会議なのでしょうか、そういったことがわかりません。
 それから、10月2日、緊急全校集会とあります。これ、私見ていて非常に疑問に感じたのは、これ2学年で起きたことなのです。2学年で起きたことを全校集会、子供が亡くなったわけですから全校でやるのはわかるのですけれども、学年集会というのが書いていないのです。本当に学年集会は行われなかったのでしょうか。私の経験からいくと、こういうことはあり得ないのです。全校集会があったら、必ず学年集会があるはずなのです。やはり自分たちの学年で起きたことですから、当然学年の子供たちを集めて話をするというのが普通の学校のやることなのです。その学年集会ということが、この資料の中に載っておりません。これは本当なのかしらと、こう思います。
 それから、10月4日、校長の出張。これは前回金子先生にいろいろ校長の出張がどこだったかという話をお聞きしたのですけれども、議事録を見ても4日の出張については何もないのです。どこに行った出張なのでしょうか、時間は何時から何時までの出張だったのでしょうか。
 それから、これを見ますと、校長が1日から8日まで毎日弔問に行っているわけなのですけれども、6日の日が抜けているのです。6日の日は行かなかったのでしょうか。
 それから、8日の日に突然弔問に行かなくなっているのですけれども、これはなぜでしょうか。
 それから、12日、これ結構大きなポイントとなる職員会議なのですけれども、これは職員会議は何時から何時まで行われたのでしょうか。それから、12日にファクスの受信というのがあります。情報提供を求められる。そこから、ファクス、ファクスとずっと続くわけですけれども、何で急にここに来てファクスの質問が来るようになったのでしょうか。
 それから、16日、校長出張という、これもちょっとわからないのですけれども、どこに何時の出張なのでしょうか。
 それから、19日の陸上大会の引率ということなのですけれども、これも時間がありません。どこに何時の出張なのでしょうか。
 それから、23日の職員会議についても、具体的な時間というのが書いてありません。私は、時間というのは物すごく大事だと思っているのです。要するに、陵平が亡くなって、1人の13歳の命が亡くなって、どれだけ職員が真剣に話をしたのか。そういうことというの物すごく大事だと思っているのです。ですから、ちゃんと時間を教えてもらいたいと思います。
 それから、25日に朝霞地区に引率というふうに後で金子部長の方から言われたのですけれども、この資料に載っていないわけです。これも時間を教えてもらいたいし、何でこういうことが載っていないのかということが、そもそも非常に疑問です。
 それから、2枚目の皆さんの方は裏側になると思いますが、教育委員会の具体的な動きで10月1日に弔問とありますが、これはどなたが行かれたのでしょうか。それから、いつ行かれたのでしょう。
 それから、10月2日に事故調査について協議とありますけれども、これはどこでどれだけの期間行われたのでしょうか。
 それから、10月5日、教員から事情聴取と書いてありますけれども、これもどこでどんな先生が呼ばれて、そしてどれだけの時間行われたのでしょうか。
 それから、10月20日に面談の申し入れをされて、23日に面談の日時を伝えるが都合がつかないと、こういうふうに書いてあるのですけれども、これなぜでしょうか。普通面談の申し入れをして、日時を伝えて都合がつかないということはないと思うのです。
 それから、10月25日、両親との面談、これはどなたが出席されたのでしょうか。
 それから、31日の両親との話し合い、これも両親と学校と教育委員会と書いてありますが、これはどなたが出席されたのでしょうか。人数も全く書いていません、時間も書いてありません。
 それから、20日の両親との面談のことですが、これ教育委員会のどなたが面談の申し入れをされたのでしょうか、それをお聞きしたいと思います。
 それから、ちょっと議長にお願いなのですが、これは非常にやはり落ちがある資料だと思うのです。やはり議会に出す資料というのは、もうちょっと正確で、ちゃんと要求どおりの資料を出してもらいたいと思うのです。その辺を議長から教育委員会の方にぜひ言っていただきたいと思うのですけれども。
 以上、1回目の質問を終わります。
〇議長(三村邦夫議員) 高邑議員、資料については、事前に本人と執行部と調整していただかないと、それが通常のしきたりになっていますので。
 皆さん、議員からの資料請求の場合は、必ず執行部と調整していただいているので。
   〔「前回用の資料ですので、その部
     分についてちょっと」と言う人
     あり〕
〇議長(三村邦夫議員) ですから、これについてあなたが……
   〔何事か言う人あり〕
〇議長(三村邦夫議員) では、後ほどまた。
 答弁できますか。
   〔「資料要求は待ってください」「休
     憩してもらって」と言う人あり〕
〇議長(三村邦夫議員) ちょっと待ってください、今資料要求されておりますので。

  ◎資料提出要求

〇議長(三村邦夫議員) お諮りいたします。
 ただいま、11番、高邑朋矢議員から資料の提出要求がありましたが、これを市長に求めることにご異議ありませんか。
   〔「異議なし」と言う人あり〕
〇議長(三村邦夫議員) ご異議なしと認めます。
 よって、ただいま高邑議員から提出要求のありました資料の提出を市長に求めることに決しました。

  ◎資料配付

〇議長(三村邦夫議員) ただいま要求されました資料が送付されましたので、配付いたします。
   〔事務局職員配付〕
〇議長(三村邦夫議員) 暫時休憩いたします。
   休憩 午後 1時32分

   再開 午後 1時57分
〇議長(三村邦夫議員) 休憩前に引き続き会議を開きます。
 教育長。
〇教育長(臼倉正堯) 大変貴重な時間をありがとうございました。今後連絡を密にしまして、資料に十分注意したいと思います。
 それでは、ご質問いただきましたことについてお答えを申し上げます。
 まず、英会話の件であります。委託を続けていくのかどうか。学校図書(株)、松香フォニックスの方へ委託したわけでありますが、これを続けていくのかどうか考えをというご質問であります。松香フォニックス研究所は、小中学校の英会話学習に関する研究の蓄積が大変あります。現在東京都の稲城市、あるいは県内では戸田市などもこの松香フォニックスをアドバイザーとして実際に実績を上げているところであります。また、松香フォニックスは英語の発音とつづりの関係を合理的に整理して教える指導法で、新座市でも中学校の英語教員の中にはこれを活用している教師がおります。研修を委託するに当たっては、単に指導者としてということではなくて、適切な英会話教材の選択と活用や、小学校1年から中学3年までの系統的なカリキュラム作成など、これは学校と教師と指導主事も一緒になって共同で行っておりまして、より効果の高いものを目指すように編成をしたところであります。こういうことで、丸投げみたいなやり方ではなくて、学校の意見を十分生かして、それをもとにしながらカリキュラムの編成をしてきたということで、ご理解を賜りたいと思います。
 あと、その他につきましては、学校教育部長から答弁を申し上げます。
〇議長(三村邦夫議員) 学校教育部長。
〇学校教育部長(金子広志) 英会話教育につきまして答弁をいたします。
 ご承知のように、小中学校で実施されております授業、教育活動につきましては、教科あるいは領域、道徳や特別活動につきましては、文部科学省の学習指導要領に基づいて実施しているわけでございますが、この英会話教育につきましては、本市が初めての試みと。しかも、全市的に行う初めての試みということで、松香フォニックスの今までの実績をおかりしまして、指導を進めておるところでございます。
 実績、今までの状況はどうかというご質問でございますけれども、4月に始まって1学期が終わり、2学期に入った状況でございまして、その間さまざまな問題も、課題も出てまいりました。この課題につきまして、長期の休み期間中を利用しまして教職員の研修等を行って、教職員一人一人の指導力の向上に資してきたというのが現状でございます。
 統計等を見ますと、小学校の段階では大変導入してよかったと、子供も喜んで英会話の時間を期待しているというような数値も出ております。ただ、初めての試みということで荒野に道路をつけるようなものでございまして、さまざまな困難があります。こういった困難な状況を一つ一つ取り除きながら、長期の展望に立って新座市の英語教育の向上に努めてまいりたいというふうに考えております。
 以上です。
〇議長(三村邦夫議員) 学校教育部長。
〇学校教育部長(金子広志) 学校公開についてご質問がございました。大変失礼いたしました。
 私どもは、学校公開ということについては、年間を通じて保護者の皆様あるいは地域の皆様には、授業参観日という形で公開を心がけておりますし、また11月の第1週におきましては、教育週間ということで皆さんに学校の教育活動をごらんいただいているということでございます。
 文教経済常任委員会の議員におかれましては、4月から5月にかけまして学校を見たいというような要請がございましたので、その都度学校の都合等をお聞きして公開をしてきたというようなことでございまして、決して門を閉じているとかということではございません。
 ただ、それが日常的に続いていきますと、学校もさまざまな行事等が予定され、計画されておりますので、学校等に支障のないような、教育活動に支障のないような形で公開をしていくということで、私どもは決して門を閉ざしているわけではございません。十分要請にこたえていきたいというふうに考えております。
〇議長(三村邦夫議員) 学校教育部長。
〇学校教育部長(金子広志) それから、高邑議員の教育問題の1か月の学校の具体的な動き、あるいは教育委員会の具体的な動きについてご質問がございましたので、お答え申し上げます。
 前回の資料につきましては、時間等は記入してございません。これは、そこまで職員会議の時間等まで私ども記入する必要はないというふうに判断をしたわけですけれども、ご質問がありましたので、わかる範囲でお答えをしたいと思います。
 まず、1点目ですが、10月1日の弔問にはだれが行ったかということでございますが、この弔問につきましては教育長が行っております。また、校長も行っております。
 それから、臨時職員会議は何時から何時までかということでございますが、9時から10時まで開催をされたということでございます。
 それから、10月3日の臨時保護者会、これは何時からということでございましたが、これは16時から実施をいたしました。
 10月4日、水曜日の臨時学年会議につきましては、17時30分から実施をしております。
 10月4日の校長の出張の内容でございますけれども、南部地区道徳教育研究協議会運営委員会、浦和市民会館に出張しております。
 翌5日、木曜日、校長出張は、新人市大会、新人戦が秋にございまして、この新人戦の市大会、それから定例校長会議が市役所で実施されました、ここに出張をしております。
 10月12日、職員会議は15時30分から17時までということです
 10月13日の校長出張、これは校長研究協議会、大正小学校、現在の新座小学校で実施をされました。その後、小中高連絡協議会が新座市民会館でございましたので、そこに参加をしております。
 10月16日の校長出張ですが、進路講演会講師打ち合わせ、これは場所は埼玉県PTA教育研究所に行っております。
 それから、10月19日校長出張、新人陸上競技大会、新座市民総合運動公園で行われました。
 それから、10月23日の職員会議、これは15時34分から16時20分まで実施をいたしました。これは学校の中でございます。
 それから、抜けておりまして大変失礼いたしましたが、私が6月に答弁いたしました10月25日の出張になりますが、この資料から抜けておりましたが、10月25日出張しておりまして、これは内容は新人戦朝霞地区予選会、これは朝霞市の総合体育館で開かれました。
 それから、その後南部中学校長会全体研修会に出席をしております。
 続きまして、裏面でございますけれども、教育委員会の具体的な動きということでご質問がございましたので、引き続きお答え申し上げます。
 10月1日の弔問につきましては、教育長が行っております。
 それから、2日、校長と事故調査について協議ということがありますが、これはこのことを受けて市内の校長が招集されまして、臨時校長会議が開催されました。命の大切さに係る指導の徹底ということで教育長から話があったわけですけれども、その後に校長と教育委員会で協議をしております。
 それから、10月20日、金曜日、面談の申し入れをされるということは、教育長へ面談の申し込みがあったということでございます。
 それから、10月23日の資料で面談の日時を伝えるが都合がつかない、なぜ都合がつかないのかというご質問でございますが、これは出張がこの時期たび重なりまして、大変校務多忙ということでございまして、どうしても時間的な都合がつかなかったということでありました。
 10月25日、水曜日、両親との面談ということでございますが、だれがどこで行ったかということでございますが、市役所で当時の部長、それから指導課長がおおむね1時間懇談をしたということでございます。
 10月31日の火曜日、両親との話し合いということでございますが、このときは17時30分から部長、指導課長が同席をして話し合いが実施されたというでございます。
 以上です。
〇議長(三村邦夫議員) 11番、高邑朋矢議員。
〇11番(高邑朋矢議員) 最初に英会話ですけれども、松香フォニックスのことなのですけれども、松香フォニックスが発音とつづりのことについて大分研究をされているということは、私も現役のときから知っておりました。
 六中の当時セサミルームというのを初めてつくりまして、ジェフリー・ポイントンというAETの先生と岸辺先生という先生と、この松香フォニックスはいいねという話をしながら一緒につくった記憶がありますので、松香フォニックスが発音とつづりの関係において非常に効果的であるということは、私も知っております。ですけれども、このプログラムで初めての試みだから、多少のことはしようがないというようなご意見だったと思うのですけれども、その実績があるところがプログラムをつくって、これだけ結構厳しい状態が実際にあるということを、やっぱりもっと認識していただきたいと思うのです。この資料の中では、余りマイナス的な意見がなかったので、これはちょっとこの資料は本当かしらと思ってしまうのですけれども、困難がつきまとうと、だけれども困難を切り開いていくのは松香フォニックスではなくて新座市の教員なのではないでしょうか、新座市のAETなのではないでしょうか。いろんな問題があると、ではまた松香フォニックスに頼んでちょっと直してもらおうではなくて、実際に現場で働いている人が、子供たちと実際に接している人が、その困難を何とか乗り越えていこうというふうに考えるのが、筋ではないかと思います。
 プログラムの変更というのは非常に難しいと思うのです、一度決めてしまうと。ですけれども、自分たちでつくったプログラムであれば簡単に変えられるわけですから、委託料で100万円近くかかっているわけです。これやはり大きいと思いますし、AETの給料も全部合わせるとやっぱり1億円以上のお金がかかっているわけですから、やはりちょっとこれは考えていただきたいと思います。
 それから、授業公開のことですけれども、日常的に続くと学校が困ると、これはもちろんわかっています。私は、別に毎日その学校へ行くとか、そういうことを言っているわけではありません。23校もありますので、1校ずつ回っていっても次に行くのは1か月後なわけです。だから、授業公開日に行くということももちろん考えていますけれども、もう少しふだんの授業というものをやっぱり市民にも、もちろん私たちにも公開していただけたらなと、そういうふうに思っています。
   〔「通告書のどこに書いてあるんで
     すか、それ関連質問じゃないん
     ですか、議長」と言う人あり〕
〇11番(高邑朋矢議員) それから、前回の資料が非常に不備があったというふうに私が思ったので、今回こういう質問したのですけれども、時間的な内容だとか、今この時点で出すのは非常に困難ということであれば、後でまた資料を出していただきたいと思います。
 今わかる範囲の中でちょっとお聞きしたいのですけれども、まずこの1か月の間、両親は学校あるいは教育委員会と全然話し合いができなかったわけです。その理由が、大変な出張があるとか、学校の用事があるとか、葬儀があるとかという理由で1か月間ほっぽっておかれた形なわけです。でも、今の答弁でもあったのですけれども、校長が新人戦の引率をすると。これ、私の感覚から言うと、これはあり得ないのです。校長が、新人戦の応援に行くというのはあります。だけれども、生徒を連れて引率をしていくというのは、これはおかしいのではないか、本当に引率したのでしょうか。引率というと、生徒を連れて自転車、あるいはオートバイで一緒に行くのを引率と私は認識しているのですけれども、そういうことがあったのでしょうか。
 それから、10月20日に教育長に面談の申し入れをされるということなのですけれども、なぜ教育長がその面談に応じられなかったのでしょうか。普通教育長に面談申し込みされたら教育長が当然出ていくと思うのですけれども、なぜ部長と課長が対応されたのでしょうか。
 ここに名刺があるのですけれども、臼倉教育長の名刺なのですけれども、1日の日に弔問に訪れたときに何かあったら何でも言ってくださいということを教育長言われているのです、ご両親に。ところが、10日の日に陵平のお父さんの隆志さんが面会を申し込むと、11日には、女性の職員から今週も来週も多忙のため会えないと、こう言われてしまいます。再度申し込みますと、今度は返事がないと。やむなく12日から二中にファクスで質問を実は始めているのです。この不備というのは、実は学校だけではなくて教育委員会の方にもこの資料は大分不備があると私は思うのですけれども、3回目にやっと面談の申し入れが認められるというか、ただ教育長はそこには出席はされないと。23日になぜ会えなかったかというと、留守電に部長と次長が本日10時よりお待ちしていますと、いきなり留守電にきょうの10時から待っていると言われても、これはやはり無理ではないかなと思うのです。それに対して、隆志さんが電話をすると、なぜ教育長が出られないのかと、こういう電話をすると、このようなケースでは教育長がお話しすることは慣例にありませんと、こういう言い方をされます。1日の日には、何でもおっしゃってくださいと言って、両親は非常に苦しい状態の中感激するわけなのですけれども、後は全然面会をされない、これはどういうことなのでしょうか。そのあたりを教育長自身からお答えいただきたいと思います。
〇議長(三村邦夫議員) 教育長。
〇教育長(臼倉正堯) どこまでが質問か、ちょっとわかりませんけれども、再度のご質問にお答えをいたします。
 一番最後の方の最初の1日に私が弔問をいたしましてお悔やみを申し上げ、確かに何でもお申しつけくださいということを申し上げました。それは、しっかりと覚えております。それを私がすべて受ける、受け付ける、相談に全部乗るというそういうシステムではなくて、教育委員会はそのために事務局ありますから、こういういろいろなことが起こった場合には、例えばこのことは学務課の対応、このことは指導課の対応、あるいはこのことは生涯学習課の対応と、こういうふうにいろいろと対応が分かれまして、そしてその期間を通して話がある程度進んで、肝心なところでは私が出ていくというのが普通のやり方です。それでなければ、私としてはとても全部対応はできません。
 そういうことで、逐一報告を受けたりして、そのたびに私の方からは職員に指示を出して相談の繰り返しをしたということでありまして、主な窓口は当時の学務課長がいたしました。学務課長です。学務課長がすべてをいたして、私の方に報告があって、私の方からまた学務課長がそのことを意を酌んで相談したと、こういう経過であります。私が直接そういう窓口になるということは、ほとんどないと言っていいかなと思います。何でも言ってくださいと言ったのは、そういう意味でお聞きしたことを私はすべて職員を通して聞いておりまして、それを通してまたお返事をしているということであります。
 それから、校長の引率でありますが、これはいろんな意味がありまして、校長はこの大会の会長もやっていまして、引率も含めながらこの大会の責任者でもあったりした立場でありました。そういうことで、校長はこの大会に出席したということであります。
 1か月の間教育委員会と保護者との話し合いが行われていないのではないかという、こういうご質問でありますが、ちょっとデータが十分そろっていないのでわからないのですけれども、そういうことで窓口は学務課長ということで受けるものは大体受けているように承知をしておりますが、ちょっと正確には資料が今手元にないので、推測になってしまいますけれども、そういうことであります。
 それから、ふだんの授業を見たいということでありますけれども、これは当然手続を踏んでもらってごらんになってください。部長の方からもありましたが、学校のいろいろな事情がありますからして、事前に手続をいただければと。いつでも公開いたしますし、いろいろな方がこの授業を見たいという方が見える場合もあります。すぐ都合がつく場合には、学校はすぐ公開をいたしております。
〇議長(三村邦夫議員) 学校教育部長。
〇学校教育部長(金子広志) 英会話の指導についてお答え申し上げます。
 新座市の英会話の授業、指導計画でございますけれども、これは実際は松香フォニックスというところで提携をしながら進めてきたわけですけれども、実はこの前に新座市教育委員会としてマップスという指導の計画がございまして、これらをもとにしながら新座市独自のものを編さんをしてまいったわけです。議員ご指摘のように、低学年の児童生徒はこの英会話の授業を大変楽しみにしております。それは、私どもがとった統計からも明らかでございますが、学年が上がるに従ってややそういった傾向が減少するということも認識しておるところです。
 これらを克服するためには、やはり教員一人一人の英会話に対する理解を深めるということと同時に、学校全体で例えば教室の表示なりを英語表示にするとか、いろんなやっぱり工夫が必要かと思います。あるいは、掲示板に英語コーナーをつくったり、あるいはコミュニケーションができるような行事を設定したりして、子供たちの意欲を喚起していくということが大事かなというふうに思います。
 私どもは、この会社に丸投げをするというようなことはございませんし、これからも協議をしながら新座市独自の英会話の指導計画、あるいは授業の計画等を作成をしていくということで、大変私どもも意欲に燃えておりますので、どうぞご理解のほどお願いしたいと思います。
〇議長(三村邦夫議員) 11番、高邑朋矢議員。
〇11番(高邑朋矢議員) まず、授業の件ですけれども、手続を踏めばいつでも公開するというふうに受け取ってよろしいわけですね。
 これは、教育委員会を必ず通すということでしょうか、学校長に直接ということでしょうか、その辺ちょっとお聞きしたいと思います。
 それから、教育長が直接窓口になるわけではないと、なるほどなと思ったのですけれども、なぜそれが2月5日に教育長は市役所で両親と面会をされていると思うのですけれども、これはどうしてお会いになられたのでしょうか。教育長は、原則的に会わないというのに、なぜお会いになったのでしょうか。
 それから、1か月たって両親との話し合いが行われました。やっと学校と両親が話すチャンスができたわけです。校長は、ここでこういうことを言っているのです。「先ほど申し上げましたとおり、職員会議も10日まで持てないような現状でした」、臨時の職員会議が持てているのです。「それは、3日、4日、5日、6日は新人戦ということで、一番早い職員会議で事情事実を説明し、これから私たちが取り組むべきことは何か、あるいはお父さん、お母さんからいただいたことは何だろうかと、私たちはこれから二中をどうするかことについての最初の会議を持てたのは10日だということを、まずご理解いただきたいと思います。それから、11日、12日と会議を重ねていったのですが、その後も先ほど申し上げましたとおり、16日、23日と会議を重ねて、陵平君の死をむだにしないために私たちがもう一度共通理解をしていくということにこれだけの日数を要してしまったということをまずおわびするとともに、ご理解いただきたいと思います」、これは教育委員会の立ち会いの会議で、10月31日に行われた東北コミセンでの話し合いなのです。
 要するに、1か月間両親に何があったのかということを説明するのに、会議は10日まで持てなかったからだと、そして出張が多かったからだと、こういうことを校長は言っているわけです。ところが、1日にちゃんと会議は行われています。会議録も私は持っています、議事録を持っていますけれども、非常に短時間の会議なのですけれども。
 それから、2枚目のプリントを見ていただきたいのですけれども、10月5日に教員からの事情聴取ということで、そこで教育委員会は事実をもう把握しているはずなのです。これは、もう事故が起きたときには、早く調査をしなければ記憶がどんどん薄れていきますから、これは当然の措置だと思います。10月5日に、もう既にわかっている、少なくとも学校側は10月1日にもう会議を開いていて、何があったかをちゃんと話し合っているのです。それなのに、なぜ31日まで両親に何も伝えるということをしなかったのか、これがどうしても私は納得できないことなのです。事実がわかっていて把握をしていながら、なぜ両親の問いかけに対してしっかりと向き合わなかったのでしょうか、それを教えてください。
 それから、先ほど、多分答弁漏れだと思うのですけれども、学年集会というのは本当になかったのですか。これは、わからないということなのでしょうか。非常に大きな問題だと思うのです、学年集会というのは。
 10月2日の全校集会のときに、両親は実は担任の先生に学校で何があったのでしょうかと聞かれるのです、わかりますか。陵平君に一体何があったのでしょうか、担任の教師に聞かれるのです。10月1日の会議でこういう指導があって、こういう事故が発生しましたということを職員会議で話し合いをしているのです。しているのに10月2日の緊急全校集会では、担任の教師が学校で何があったのでしょうかと両親に聞くのです。こういうことを通して不信感がどんどん、どんどん募っていったのだと思うのです。この学校の対応、これは間違っていないですか。教育長に会いたいと言ったら、会えばいいではないですか、どうして子供の命が一番大事だと校長会でも発言されている臼倉教育長が会うという、両親の会いたいというその気持ちにこたえられなかったのでしょうか、非常に私はそこが疑問なのです。
 それほど忙しい何か用事があったということですか、その辺をお聞きしたいと思います。
〇議長(三村邦夫議員) 教育長。
〇教育長(臼倉正堯) 再度のご質問にお答えをいたします。
 学校で1か月の問題がまず1点出ておりますけれども、1か月その事故調査にかかったということでありますが、この学校で一番調査で難しかったのは、この事故が学校で起こったことであったら、何月何日どこでどうなってどういう状況で起こったという事実を全部把握することができます。学校で何があったのだということを調べてくれと言われますと、何をどういうふうに考えたらいいか大変難しい問題です。要するに、こういうことが起こった原因が学校にありはしないかという、こういう調査になります。これが、非常に難しくて、だれに聞いても明快な答えを出せる人はもちろんいませんし、いなかったし、もしやこういうことかな、そういえばこういうことかなと、そういうことがありはしないかということで、何度もそういう声があるかどうかよく調べてくれということは、教育委員会は何回も指示をいたしました。その間、学校でいろいろと原因を調べましたけれども、結果的には学校はこれに直接関係するようなことは考えられないという結論であります。そういうことを含めまして、時間がかかった。このわからないものの原因を追及するというのは、大変な時間を要することだと思います。そういうことを含めまして、実際に時間がかかったということが1か月であります。
 それから、私が会わなかったということは先ほど申し上げたのですけれども、話は全部報告を受けておりまして、その報告を受けながらお話をする必要のあるときには私が出ますよということはいつも言っておりまして、そして話を受けて状況を見ながら、またはこういう解決をしないまま出ても話が何も進まないなという状況のときに話が出ても、何ら意味がないし、少しでも何かの像が出てきたときに、あるいはお互いの考えがまとまってきたときに、私が出てお話をし合うということが普通の一般のやり方であります。今回もそういう方向でやってきたので、別に特に拒否をしたとか、そういう意味ではないことはご理解いただきたいと思います。
〇議長(三村邦夫議員) 学校教育部長。
〇学校教育部長(金子広志) 学年集会の件、ご質問にお答えしますが、今私どもが手持ちの資料におきましては、学年集会を開いたというような記録がございません。ですから、学校の全体の集会が開かれたというふうに理解をしております。
〇議長(三村邦夫議員) 11番、高邑朋矢議員。
〇11番(高邑朋矢議員) 学校で起きた事故であったら調査は簡単だったのだけれどもと言うのですけれども、学校で何かあって学校で死ぬ子は余りいないのです。学校でいじめがあって、学校で死ぬということは私は余り聞いたことないのです。死んだ場所が問題ではなくて、学校の中で何があったかが問題なのではないですか。
 所沢高校の校長は、お母さんへのメール、ご迷惑かけました、ごめんなさいというメール、それから学校で2時間、5人の先生が指導をしたということ、それだけで力がなかったと反省をしているのです。たったそれだけのことで。
 陵平の場合は、反省文と遺書が同時に置いてあるわけです、同じ部屋に。これは、警察官がそれを発見して、それで新聞社に流れたのだと思うのですけれども。しかも、担任の先生から電話がかかって1時間もたたないうちに亡くなっているという事実があって、それで学校は無関係というような判断を下す神経が私にはわからない。それに時間がかかったのですと言うけれども、学校側は違った言い方をしているではないですか。学校側は、会議があって、いろんな主張があって、それにこたえられないと。今教育長は、学校に関係ありはしないかという調査をしていたのに時間がかかったと、こういう言い方をしているわけです。それで、学校に関係がないという根拠は何ですか。どこをどうしたら学校に、その当時の指導に関係がないということが断言できるのですか。
 教育長は、ちょっと失礼なのですけれども、中学校に何年おられましたか。中学校での経験、中学生を相手にした経験は何年おありですか、お願いします。
〇議長(三村邦夫議員) 教育長。
〇教育長(臼倉正堯) 最初に、中学校の教員の経験は、臨時の経験が半年あります。それだけです。あとは、小学校です。
 学校に関係ないという判断をどうしたかというでありますが、実際問題原因がどうしてもわからない、学校として指導してきたことをすべて洗い直しました。それは、これまでずっとやってきたことと同じことでありまして、一つの学校の指導のあり方の方法を踏襲しただけであります。特に、このときだけ新しいことをやったわけではありませんし、またこういう指導を何か守らなかったり、あるいは問題行動を起こしたりした場合には、こういう指導を受けるということを生徒はもう承知をしている、みんな学校では承知をしている、そういう指導方法をとっております。したがいまして、ふだんのそのままの指導方法をとったので、後は原因が考えられない。したがって、学校は特に関係ないと、こういうふうに判断したところであります。
〇議長(三村邦夫議員) 11番、高邑朋矢議員。
〇11番(高邑朋矢議員) さっき、ちょっと学年集会を開いていないという答弁だったのですけれども、学年集会開いています。同じ日に。金子学校教育部長よろしいですか、学年集会を開いています。臨時学校集会の後に学年集会やっています、やはり。
 原因がわからない、今までやってきてだれも亡くなっていない、だれもそういう事故がなかったから、この指導の仕方は間違っていない、原因ではないというのは、全然論理的ではないと思うのです。中学校の経験がないということなのですけれども、中学校2年生でリーダーと言われる子たちのプレッシャーというのは物すごいのです。所沢高校の3年生も受験ということがかかわっていなかったら、ああいう結果にはならなかったと思うのですけれども。今子供たちが先生たちの前で物すごいプレッシャー、内申とか物すごいプレッシャーの中で生きているわけです。
 特にこの担任の先生は、私の片腕がもがれたようだ、なくしたようだという言い方をされるのですけれども、その先生の片腕となって、生徒と教師の間にあって働くリーダーたちにとっては、学校の教師から否定をされるということは、これはこれはとてもきついことなのです。その心情が全くわからないというのは、これはおかしいのではないですか。幾ら中学校を経験していなくても、そのぐらいのことはわかってほしいと思うのです。子供たちは非常にきつい状況の中に置かれています。今までそれで問題がなかったから、今回事件が起きたことは問題がないのだ、関係がないのだという、そういう考え方で本当に新座市の教育界のリーダーをやられているのですか。新しくだれかが何か起きたら、今までこういうことはなかったから、それは学校には関係ないやという、そういう論法でずっといきますか、本当に。その割には、すぐに指示を出していますね。カウンセリングマインドですか、それに基づいた生徒指導をやるようにと。
 何で学校が関係ないというのに、校長は8日まで、ずっと毎日毎日、毎日毎日弔問に行くのですか。学校が関係なかったら、行く必要ないではないですか、教育長はどうして行かれたのですか、弔問に。市内23校の生徒が亡くなったときには、必ず弔問に行かれるのですか。今まで行かれていますか。学校に関係がある、事故の責任は学校にあると思ったから、こういう行動をとられたのではないのですか、もう一度答弁してください。
〇議長(三村邦夫議員) 教育長。
〇教育長(臼倉正堯) 再度の質問にお答えをいたします。
 教育長の弔問、なぜ行ったのか。これは私は現在の在籍している子供たちが亡くなったときには、ほぼ90%以上の弔問をいたしております。1回だけ、これまで10年間のうち行けなかったときがあった。それは、出張中にあったことでしたので、帰れなかった事情があって行けなかった。あとは、全部ほとんど出ております。ということで、別に特に今回これだけ行って何かという、そういうあれは一切ございません。とにかく、私の責任における中の大事なお子さんのかけがえのない命を落とされたわけですから、これは当然弔問に行くというのが私の考えでありまして、弔意をあらわしてきたということであります。
〇議長(三村邦夫議員) 以上で、11番、高邑朋矢議員の一般質問を終わります。