12月16日 (木)  「たかやん議員日記」2004.第274弾! 

「たかやん議員日記」2004.第274弾!   12月16日(木)

陵平のお母さんからのメール

今日もたくさんの大切なものを私はいただきました。

「陵平の言いたかったことを伝えられるのは、ぼくしかいない。」
4年前のあのハイチュー事件を心底考え抜いた、高邑さんの「決意」を感じました。

10月2日の全校集会。あの日の天気は記憶にありませんが、あの日の体育館での風景は今でも忘れません。議場で、4年前のあの風景を鮮やかに思い出していました。そして、突然子どもを亡くした親の、狂ってしまった心も一緒に思い出していました。

高邑さんの意表をついた質問には、驚いてしまいました。そして、感性の深さ、豊かさを感じます。(これは毎回感じています。)私自身の感性をも磨かせてもらっているような、そんな感じがしています。

私の母は、今夜も言っていました。「陵平がそこにいるのに(和室で横たわっているのに)、よく出かけることができる、と思っていたよ。あの時は、必死だったんだね。ふつうじゃ考えられないことだよ。我が子のためにできる精一杯のことをやったんだね。あの子は、たくさんのことを人に残していったね。すごい子。」

陵平の父親にも電話で議会報告をしました。涙でうまく伝えることができませんでしたけど。「高邑さんに、ありがとうと伝えてほしい。」と言っていました。

4回の積み重なった一般質問、全体を思い返します。高邑さんは、いつも正直で、率直で、大切なことを語り続けたと思います。

大人たちだって時には間違います。
間違ったら、「ごめんなさい。」と言えばいいし、反省して、改善すればいいのに。
たったそれだけのことなのに。とりとめもなく感想をつぶやきました。

議会後、佐野さんとゆっくり話して、心がずいぶん落ち着きました。
今日は、久しぶりに陵平に会えたような感じがしています。
ありがとうございました。そして、お疲れ様でした。

おおぬき まさえ



そして命の応援団のさのさんからのメールです。

私は2回目の議会傍聴でしたが、やっぱり疲れましたね。何にもしていないのに、聞
き漏らすまいとする意思は体中の筋肉をものすごく働かせていたようです。疲れたけ
ど、徒労によるものではなく、次につながるものだと感じているので、また心と体を
柔軟にして傍聴に行きたいと思います。今回の傍聴で改めて、陵平さんの言いたかっ
たことの一言でも、思いの一片でも、私なりに一所懸命自分で見つけて、自分の言葉
で、人に伝えていきたいと思いました。
議会で問い続ける高邑さんや傍聴する政江さんの姿に、人が正直に誠実に勇気をもっ
て生きる意味を教えられます。
高邑さんが読んでくれた、全校集会の隆さんのメッセージは私も初めてちゃんと聴き
ました。高邑さんも声が詰まっていましたが、当然ですよね。私もやっぱり涙が止ま
りませんでした。かけがえのない愛する人を突然奪われた思いを自分に起こった事と
して一人でも多くの人に身近に感じてほしいと願わずにはいられませんでした。
前回も高邑さんの質問は良かったけど、今回はさらに良かったです。感性に響くっ
て、本物だからですよ。とかく、議会は理性が優先されるのかもしれないけど、その
もとにあるのは感性だと思います。こんなふうに本物の感性を結集していくと、共感
・賛同する人につながるはず! と確信できる瞬間でした。

あきらめずにそれぞれのやれるこ
とを継続していく事で、仲間を・分かる人を・おかしさに気づく人を増やしていきた
いと、思います。
それにしても、あの見事な「たかやん節」をあそこだけで終わらせるのはもったいな
いですね。今日、気づいたんですが、記者席が前回も今回もがら空きでした。各社に
アプローチしてみても…なんて思ってしまいましたが、次回はどうかな?
市役所からの帰りにとりとめもなく政江さんと話せたことも私にとっては癒し?のひ
と時でした。
とにかく、おふたりにありがとうです。愛と勇気をたっぷり感じました。お疲れ様で
した。

        さのいくこ





こうして日記を書いていて、不思議なことがあります。4年前、僕は陵平のことを知りませんでした。この事件のことは新聞で知ってはいたけれど、詳しいことは何も知らなかったのです。僕の質問に「うんざり」していた議員や教育長の方が知っていたのです。

僕は朝日新聞で「命の応援団」の記事が紹介されていて・・・何か電流のようなショックを感じて僕はでかけました。そして応援団のメンバーの前で「学校に、二中に責任がある。」「学校が陵平を殺した。」そう断言したのです。
その一言が原因で僕は六中のテニス部のコーチを辞めさせられました。六中テニス部を潰しにきたのです。「邑を辞めさせないのなら、テニス部を潰す。」顧問も子ども達も無視した異常なやり方でした。僕は六中テニス部の存続の為にテニスコートへ行くことをやめました。僕の引退と同時に1年生の入部が認められました。議会でも取り上げられましたが、教育委員会も議員も実際のテニス部の練習を見ないで、人から聞いた話で議論するので、驚きました。僕とテニス部の子ども達はあの時の六中の校長と教育委員会に夢を奪われたのです。全国制覇するのではという子ども達は県大会の決勝にも進めずに引退していきました。

朝日新聞は僕が「教員」になることを決意させた新聞です。あの時も雷に打たれたようなショックを感じました。そして今度もまた僕の人生を決定ずけるようなきっかけを作ったのが朝日新聞なのです。

二中の教師達が誰一人事実を語らない時に、二中の内部を語れるのは・・・・そう僕しかいませんでした。PTAの人たちも内部の本当のことは見えていないものです。職員室の雰囲気、教室での生徒と教師のやり取りは教師にしか分かりません。

だから陵平が天から僕を見つけてくれて、そして朝日新聞を読ませて、そして六中のテニス部事件をエネルギー源にして、僕が教育委員会と対決することを企画したのではないか・・・・今、そんな気がしているのです。僕達に意地悪をさせたのも陵平なのかも知れないと思うようになりました。

そもそも二中であんな意地悪をしなければ・・・六中のテニス部の子ども達にあんなにひどいことをしなければ・・・僕は教育委員会と対決しようとは思ってないでしょう。

子ども達の夢を壊した大人達。そして子どもの命を大事に考えない大人達を僕は許せないのです。僕の質問に正面から答えようとせず、僕に学校の授業すら見せようとしない。それがまた僕のエネルギーの源になるのだから不思議です。      たかやん