12月17日 (金)  「たかやん議員日記」2004.第275弾!

「たかやん議員日記」2004.第275弾!  12月17日(金)

数の論理
12月議会が昨日夜の9時に終わりました。
新座市議会は新明会11、公明党7、共産党6、刷新の会5、そして革新無所属1の計30人で構成されています。当たり前なのですが、最大会派と公明党が組むと18人。どうあがいても議決をひっくり返すことはできません。不思議なのは共産党と公明党の関係です。公明党が出した議案に共産党は賛成することもあるのですが、共産党が出した議案には公明党はまず賛成することはありません。公明党だけでなく最大会派もそれに同調しているようで、素人に毛の生えた僕としては不思議でたまらなく見えます。市議会では共産党が一番発言します。特に笠原議員の話は説得力があり、聞いていてまるで「社会の授業」を受けている生徒のような気持ちになります。反対に最大会派はこの1年間で一番発言しませんでした。一番力がある会派なのに一番発言しない・・・力があるから発言しないのかも知れませんが・・・僕には理解できないことでした。議場は議論する場のはずなのに、議論をしないでただ立ったり座ったりでは議場の意味がありません。新座市の財政はこうして悪化の一途とたどっていったのですから、それを変えるにはこの「数の論理」を変えていくしかないのかも知れません。勿論議員定数を減らすという作戦もあります。財政難ですから、それもいいアイデアだと思います。

研究授業
昨日、部長から「明日の授業は主任研修会なので遠慮してください。また別の機会を設定しますから。」という話をされた。(ありゃ、またかいな・・・)と思ったが『了解しました。』と返事をした。僕は特定の学校にこだわっているわけではない。新座市の全部の学校の様子を知りたいだけである。新座市民の目となって、見てきたいだけなのだ。実際の学校の様子を見ないで「新座の教育」を語ることはできない。いいものは良い。悪いものは悪い。それが分かる確かな目を持っていると自分では思っている。悪いから駄目だとか、良いから何でもOKと言っているわけではない。悪かったらどうやってよくしていこうとみんなで考えようというのだ。よかったら、みんなにそれを広めようというのだ。授業を見て、良くないのに「よくやっていた。」というのは誉めているのとは違う。それは「煽てているのだ。」できなかったことができるようになったとき、人は誉めることができるのだ。それにはまず悪いところは悪いと伝えなくてはいけないと僕は思っている。人はできないことができるようになることに喜びを感じるのだ。学びの楽しさを感じるのだ。

刷新の会
今回の議会でも5人全員が「一般質問」をした。僕ら新米三人組も三人三様の質問をしたのだ。僕は相変わらずのマイペースだったが、羽根善保はかなりいい感じで質問していたと思う。議場だと緊張気味のことが多いのだが、今回は控え室の雰囲気をだして大いに質問していたのだ。一番若い平松大佑議員も質問したり、意見を言ったり発言することが多かった。加藤文保、田中幸弘両先輩は流石だった。四人に学ばなくてはいけないことがたくさんあると思った、たかやんであった。

人相
この人はどういう人かわからない・・・・。そういう時、僕はその人の人相で判断する。そしてそれは大抵当たる。人の生き方は相に出てしまうのだ。表面的は笑いはかえって人相を悪くしていく。そして人相は変化していくから面白い。人相の面白いところは社会的地位とか経済状態とかとは関係がないということ。どんな生き方をしているかにかかってくるのだ。お金がなくてもいい人相の大人になりたいと思うたかやんである。