12月20日 (月)  「たかやん議員日記」2004.第278弾!

「たかやん議員日記」2004.第278弾!  12月20日(月)

市民相談
今日は市民からの相談が2件あった。一つは「堀の内球場の公園の木製の遊具が倒れ掛かっていて危険です。何とかなりませんか?」という話だった。早速みどりと公園課に電話をして一緒に見に行ってもらった。なるほど木製の遊具の柱の四本の内の一本が根っこの方で折れていた。子ども達は危険が好きだから、この遊具でどんどん遊ぶだろう。
ところが堀の内球場の担当はスポーツ振興課だった。同じ公園でもスポーツ施設に併設されていると担当する課が違うらしい。みどりと公園課の方がスポーツ振興課に連絡して、安全対策を十分にとってくれることになった。子ども達が怪我をしてからでは遅い。市役所にはこういう素早い対応が大切なのである。

もう1件はY小学校の担任の先生についての相談。教師の言葉の暴力といったところだろうか・・・小学校でこの「言葉の暴力」に会うと、子ども達はかなり辛い状況に追い込まれる。ほとんどが学級担任と生活を共にするからだ。だがこれは直接話を聞いてみないとなんともいえないことなので、まずは話を聞くことになった。
中学校にだってこの「言葉の暴力」は多い。陵平がいい例である。教師達は気がつかなくても子ども達の心が傷ついていることがあるのだ。何ということのない言葉でも繰り返されると、とてつもなく強い言葉になって心に残ることもある。大勢の人間に言われると、弱い言葉でも強く聞えてくる。ましてや担任が強い言葉で言えば、小学生にはかなりの負担になるのだ。中学生だってそうだ。そういう僕だって、もしかしたらたくさんこどもたちを傷つけてきたのかも知れない。言葉にはそういう危険がいつもつきまとうということだ。勿論職場の中で教師同士で傷つけあうこともたくさんある。管理職による言葉の暴力もあげればきりがない。「自分が偉いと思うようになると、人を傷つける言葉が多くなっていく。」といった人がいたが、本当にそうかも知れない。

思い出
子ども達に昔の僕の授業を覚えているか?と聞くとほとんどの子達が「覚えてない。」という。これは教師にとっては結構きつい言葉だ。「お話は覚えているよ。」「サッカーやったよね。」「歌を歌ってくれた。」「天体観測は覚えている。」「黒目側へ行ったよね。」子ども達の思い出は授業以外のことばかり・・・。(ん?授業中のことかも・・・)
僕だって、大好きだった先生の授業の中身はほとんど覚えていない。覚えているのは、その先生が僕にどんな言葉を言ってくれたかということだけだ。そしてその時の先生の表情・・・これを覚えているのだ。

「英会話の先生が今月でやめちゃうんだって!」「大好きだったのに・・・」「一番発音がきれいな先生だったのに・・・」どうやらF中の英会話の先生のことらしい。確かに笑顔の素敵な先生だった。「あの先生、超いいよー。」子ども達の言葉が耳に残っている。先生、お疲れ様でした。お元気で。