12月30日 (木)  「たかやん議員日記」2004.第288弾! 

「たかやん議員日記」2004.第288弾!  12月30日(木)

ひろさちや
考えてみれば、わたしたちは子どものころから、「世の中の役に立つ人になりなさい」と言われつづけてきました。耳に胼胝ができるほどそう聞かされ、したがってその言葉が刷り込まれ、すっかり洗脳されてしまいました。そうするとわたしたちは、つねに、(自分は世の中の役に立っているんだろうか・・・?)と不安に駆られることになります。会社でもちょっと失敗しただけで落ち込み、ましてやリストラに遭えば自分に存在価値がないのではと絶望するはめになります。老年になれば、それだけ世の中の役に立つ度合いが減るもので(減ると思われるもので)、(俺はまだまだ若いんだぞ。若いものなんかに負けるものか!)と老骨に鞭を打たねばなりません。しんどいですね。疲れますね。
なぜしんどくなるのか?なぜ疲れるのか?その理由は、わたしたちが「世の中の役に立つ人間にならなければならない」と思っていることにあります。
そんなの嘘ですよ。世の中の役に立つ人間になる必要なんてありません。わたしたちは洗脳されているのです。
たって、世の中の役に立つ人間になれ・・・ということは、世の中が大事で、人間は世の中に奉仕すべき道具である、という思想です。じつに人間を馬鹿にした思想ではありませんか。われわれは世の中で生きているのであって、世の中のために生きているのではありません。
(ひろさちや  仏教が教えるこころが穏やかになる話のまえがきより )


このところ涙もろい自分がいます。今日も「地球の中心で、愛を叫ぶ」を見ながらボロボロ泣きました。どうも自分のこころが自分の思い道理には動いてくれない。そんな毎日が続いています。どうしちゃったんだろう・・・・本当に不思議です。まるで高校生だった頃の自分がいたりする訳です。いい歳をしてどうしたんだろう・・・・そうは思っても、こころが脳の命令を全然聞いてくれない。そんな不思議な気持ちがこのところ僕を襲っているのです。
そんな時にこの「ひろさちや」の本を読んで、僕はなんとなく救われた気持ちになりました。泣いたっていい。悩んだっていい。自分らしく生きさえすればいい。短い人生だっていい。長ければ長いに越したことはないけれど、短くたって自分らしく生きられればそれでいい。そんな風に思えるようになりました。

だから13歳で死んだ陵平も18歳で死んだBも、21歳で逝ってしまったMも、35歳で死んだ二郎も・・・みんなそれぞれ立派な人生だったんじゃあないか。そう思うようになりました。そうは思っても今、泣きながら書いている僕がいる訳ですが・・・・
人のこころは自分でもコントロールできません。
卒業式の日もそうでした。
体育館で全く泣けなかった僕が、クラスで一人一人に僕の父さんの詩集を渡していたら、急にその子の名前が読めなくなったことがあります。自分の目から涙がでていることに自分が気付きませんでした。
かと、思えば、体育館に入場する時に突然ボロボロ泣いたこともありました。涙は何の前触れもなく流れ出るものなんですね。

いくつになっても僕のこころは大人になれません。もう2004年が終わろうとしているのに・・・ちっとも成長していない自分がいます。
愛する子ども達がいれば、必ずその子達と別れなくてはいけません。こどもを愛するということは別れる日が来るということなんですね。
僕が死んでしまって、みんなと別れるのはしょうがないけど、僕が生きているのに本当の別れが来るのは苦しいです。
僕の人生にもうその子がいなくなる・・・・。そう思っただけで涙がでてくるのです。

太陽は偉いです。どんなに悲しいことがあってもちゃんと次の日には東の空から昇ってきます。だからみんな太陽のエネルギーに救われるのでしょう。子どもたちにとってそういう存在になるにはまだまだ時間がかかりそうです。