5月1日 (土)  「たかやん議員日記」2004.第48弾!

「たかやん議員日記」2004.第48弾!  5月1日(土)

息子の誕生日
一昨日の29日で息子の空が満一歳になった。「邑空くーん!」と呼ぶと、手をさっと挙げるようになった。バイバイもできる。「じじん。」「だーだ。」宇宙語を話し笑わせてくれる。親ばかだろうが、実にいい表情をしている。この表情を大切にしてくれる学校に通わせたい、親はそう思うのだ。この目の輝きを大切にしてくれる先生と巡り合って欲しい、親はそう思うのだ。
「規則を守ることが大事なんです。」とか「ルールを守ることを教えることが学校の仕事なんです。」などといっている学校には絶対に通わせたくはない。親はそう思うのだ。そういう意味でも今の新座の教育長は親の思いをまったく理解していない。そりゃあ親によって求めるものは違うかも知れない。だけど「ルールを守らせる」ことの為に、子どもを死なせても平気な学校には何があっても通わせたくはないと思うことは同じだろう。
空を見ていていつも思うのだ。陵平のお母さんもこういう風に彼を見ていたのだろうって。赤ちゃんの陵平を見て、彼が元気で大きくなっていくことを夢見ていたに違いないのだ。僕は6月の議会でも陵平のことを取り上げる。親の思いが分かってもらえるまで取り上げ続けるのが僕の仕事だと思っている。

僕らの時代には、小中学校には「校則」と呼ぶようなものなどなかった。少なくても僕の通っていた新宿の学校はそうだった。帽子を被るとか、校章をつけるとかいうものはあったけれど・・・・先生たちは「授業」に集中していた。僕らをどう伸ばすかに燃えていたと思う。色んな先生がいたけれど、僕らは先生が好きだったことは確かだ。おっかない先生はたくさんいたけれど、あまり大きな声で怒鳴られた記憶もない。要するに僕らの扱いが上手だったのだろう。とにかく授業の上手な先生は僕らから尊敬されていたことは確かである。僕らは先生が恐いからいうことを聞いていたわけではない。好きだったから、尊敬していたから先生の話をよく聞いたのだ。

学校の主役は先生なのだ。子どもを輝かせることができるか、できないかは全て先生にかかっているのだから。授業の上手な先生が増えていくことが一番大切なんだと思う。そして、子どもの目の輝きを大切にする先生が増えていって欲しいと思う、今日この頃である。