6月16日 (水)  「たかやん議員日記」2004.第92弾! 

「たかやん議員日記」2004.第92弾!  6月16日(水)

一般質問
今日の質問は大佑から始まった。いきなり野次が飛んだ。「環境問題やるなら、自分達の部屋の電気を消してからしなさいよ!」と言われたのだ。大佑ごめん!消し忘れは僕なんだ。ブザーが鳴って、慌てて議場に飛んでいったら忘れてしまったのだよ。
幸弘への野次は小野次という感じだった。そして午後。善保への野次が一番凄かった。「休憩!」という言葉まで飛び出した。議場全体がなんだかエキサイトしていた。

そして僕の番がやって来た。僕は演台の上にある水を一度飲んでみたかったので、議長の三村さんに『飲んでいいですか?』と聞いてみた。そうしたら議長は「どうぞ。いいんですよ。」と優しくいってくれた。僕は三村さんをちょっと好きになった。

僕は陵平のことになると、どうしてもエキサイトしてしまう。昔のことをどうしてほじくりかえすのか・・・・というのは学校サイドの考え。僕は陵平サイドの考えしか持ち合わせてない。子ども達や親がどう感じているのか・・・・それを語るのが僕の仕事だと思っている。昔教師だったからといって、学校の弁護をする訳にはいかないのだ。そりゃあ僕だって、新座の学校を愛する気持ちは誰にも負けない。僕は21年新座の学校にいたのだ。子ども達も9年以上新座の先生たちにお世話になったのだ。だからこそエキサイトするのだ。どうしてこんなに新座の教育は落ちてしまったのかと・・・・

僕はそれが教育長のせいだとは思っていない。やめて欲しいとも思っていない。だけど教育長というのは会社でいうなら社長なのだ。あの三菱のように不良品を出しているのに、それを隠すようなことをして欲しくはないのだ。駄目なものは駄目といって欲しいのだ。教師だって色々いるのだ。管理職だってそれこそピンからキリまでいるのだ。そのキリを弁護してどうするのだ。教育委員会は子ども達と親達の味方でなくてはいけない。教師というのは子どもにとっては「強い」存在なのだ。親にとってもそうだ。だから内申を気にして、学校にゴマをする親がやたらと登場するのだ。教育委員会が子ども達の味方ではなく教師の味方であり続けたら、それは悲劇である。

教育委員会の先生たちも、学校の先生たちも大学を卒業してすぐに「先生」と呼ばれた人ばかりなのだ。「先生」なんていい響きだろう。その響きのせいで、どうしても自分が正しいと思い込みがちになるのだ。大学を卒業したてのヒヨコのくせにだ。そしてこまかい規則を作り、「ルールを守れ!」と声を大にするのだ。俺はお前達のことを思っているのだから、俺が決めたルールに従え・・・・そういう感性にどんどんなってしまうのだ。

一度教育界の外に出て世の中を見ることだ。先生という肩書きを取ったときに、どれだけの人が自分の周りにいるか考えてみるのもいいだろう。
今度の議会は9月。教育問題4連発はいったいいつまで続くのだろう・・・・。

今日傍聴してくださった方。よろしかったら感想をメールで送ってください。たかやん