6月8日 (火)  「たかやん議員日記」2004.第84弾!

給食の思い出

西戸山小学校の時は脱脂粉乳を毎日飲んでいた。友達の仲には「気持ち悪い」といって飲めない奴もいたが、僕は美味しかったのでいつもお代わりをしていた。小学校時代は運動会とか特別な時だけ「牛乳」が出た。僕は牛乳が大好きでいつも人の分まで飲んでいた。
西戸山中学に入っても、僕の牛乳好きは続いた。放課後校庭でサッカーをやったあとに給食室まで行き、そこに残っていた牛乳を何本もまとめて飲んだりしていた。ところがある日、ちょっと酸っぱいかなと思いながら飲んだら・・・・・学校帰りの地下鉄の駅で目の前が真っ暗になり意識を失くしてしまった。腐った牛乳に当たったのだ。僕はそれ以来、牛乳を飲めない体になってしまった。だから高校時代も大学時代も牛乳は飲んでいない。飲むとお腹がごろごろしてひどいことになるのだ。ところが教師になって、困ったのが毎日の牛乳。生徒の手前まさか飲まないわけにはいかない。そこで「清水の舞台から飛び降りる」覚悟で飲んでみたのだ。すると不思議なことになんともない。調子に乗って普通の牛乳を飲むとすぐにゴロゴロ。学校の牛乳だけはOKという変な体になってしまったのだ。一つは精神的なものだと思うが、もう一つは学校の牛乳は薄いということからくるのかも知れない。
冬にストーブがあるときは子ども達と一緒によくパンをストーブで焼いて食べた。その時の美味しさが忘れられず、教室にトースターを置いたことがあった。パンはトースターで焼くと添加物が全部飛ぶから体には絶対にいいのだ。でも匂いがするので、他のクラスからクレームがつき、トースターを準備室に持っていった記憶がある。
お代わりのルールは小学校によって違うらしく、1年生の最初は結構もめていた。だから僕はいつもじゃんけんにしていた。男の子も女の子も教師もとにかく公平にジャンケンという訳だ。座る席もくじ、後片付けもじゃんけんというのが僕のクラスのルールだった。
ある時体が不自由な子をいじめた子達がいた。僕はその子達に給食を持ってくるようにいった。そしてみんなの見ている前で3人の子達にその給食を頭からかけてしまったのだ。その日の給食は「フルーツポンチ」。教室全体から「悲鳴」が上がった。
僕はその時子ども達にこういった。「フルーツポンチがかかったって、髪の毛は洗えば元に戻るんだ。でも一度言葉で傷ついた心は元には戻らないんだぞ!分かったか、この馬鹿たれが!」この間、その子達とクラス会があった。その時フルーツポンチをかけられた子が二人いた。その二人がこう言ったのだ。「たかやん、あの時は本当に怒ってくれてよかったよ。いや、本当に怒ってくれてよかった。」そしてその時いじめたYに向ってこう言ったのだ。「あの時は本当にごめんな。俺達何にもわかってなかったんだ。でも今日来てくれて本当に嬉しいよ。本当にごめんね。」フルーツポンチの思い出である。