7月13日 (火)  「たかやん議員日記」2004.第119弾! 

「たかやん議員日記」2004.第119弾!  7月13日(火)

議会便りの原稿2
教育長が言うように、悪い芽は小さいうちに摘まないといけない・・・・本当かもしれない。でもベランダでお菓子を休み時間に食べることがその芽だとは僕には思えない。いじめの兆候・・・これは悪い芽だし、本気で摘みに行く必要があるだろう。子どもの人権を無視するような芽、あの時の二中の教師集団のとった行動は悪い芽だから本気で摘まなければ、また起こってしまうだろう。ああいうどうでもいいことで、教師集団が本気になってしまうことこそ「危険」なのではないかと僕は思っているのだ。そういう「管理教育」の危険性は日本中で指摘されている。学校へ行かなければ死なずにすんだ子ども達がたくさんいるのだ。

議会でも発言したように、少なくても僕のいた時代の五中では「誉める時はみんなの前で、しかる時はなるべくみんなに分からないように・・・」と僕は先輩の先生に習った。そのやり方で子ども達は伸びていったのだ。学力だって県のトップクラスだったし、部活動もさかんだった。何故あの頃の五中のやり方を真似しないのだろう。
僕は五中の最後の卒業式の練習を忘れない。僕らはただの一度も怒らなかった。教師一人一人が子ども達に思いを伝え、歌を歌い、語り、そして泣いたのだ。卒業式の練習であれだけ泣いたのは他には余り記憶にない。卒業式本番では神さんの指揮で「校歌」と「ハレルヤ」が体育館中に響き渡った。

今、新座の学校であれだけの歌声で歌える学校があるだろうか。教師と生徒が一つになっている学校があるだろうか。「管理教育」では歌声は響かない。「管理教育」では学力は伸びない。「管理教育」では教師と生徒の信頼感は生まれない。だから「管理教育」ではスポーツの強さにも限界がある。僕はそう思う。