7月14日 (水)  「たかやん議員日記」2004.第120弾! 

「たかやん議員日記」2004.第120弾!  7月14日(水)

38歳の誕生日
今日は僕の後援会の応援団長の中島一早の38回目の誕生日である。普通教師が生徒の人生を変えていくものなのだが、僕は確実にこの男に人生を変えられている。彼が五中の二年生の時、僕は実に不真面目な男子軟式テニス部の顧問だった。練習にはほとんど行かないで、サッカーばかりやっていたのだ。僕は軟式テニスには興味が無かった。要するにやる気が無かったのである。それを完全に見抜いていたのが一早の世代の子達だった。彼らは2年生みんなで相談し、1年生には半ば強制で「硬式テニス部にすればきっと顧問は練習に来てくれるはずだ!」そういう結論に達した。そしてその通り実行してしまった。その当時の五中は「男子テニス部」という名前で生徒会に登録してあったので、別に軟式でも硬式でも誰からも文句を言われることはなかった。彼らはそれも見越して「男子テニス部」に硬式を導入したのである。僕はその単純な作戦に見事に引っ掛かり、テニスに燃えてしまった。石神井高校テニス部の物凄いトレーニングを中学生にやらせたのだ。勿論一緒にやったのだけれど、よくもまあ彼らはそれについてきたものである。翌年は男子テニス部に女子のマネージャーを8人入れ、男子と一緒に練習させてしまった。そして彼女達はテニスを始めて1年で全国大会に行ってしまったのだ。そのマネージャーの第一号が一早の妹の有紀である。彼女達は一早たちの初めての関東大会の応援に半袖ブルマーで西武線に乗り、池袋を堂々と歩くような子達だった。要するに恐いもの知らずだったのだ。松岡修造と手つなぎ鬼をしたのも彼女達である。
テニス部の歴史を書くと長くなるからやめておくが、とにかく僕は一早達の作戦にはまり忘れていたテニスを思い出してしまったのだ。そして燃えに燃えて、家庭が崩壊するほど燃えて・・・・今の僕がいるのだ。彼がいなかったら、僕は今新座のどこかで間違いなく教師を続けているだろう。もしかしたら教育委員会にいたりするかも知れない。そういう意味でも彼は僕の人生を変えたことは間違いないのである。そして僕は今、彼にとっても感謝している。僕の人生は彼のお陰でとてつもなく面白いものになったから・・・・。
一早。誕生日おめでとう!                      たかやん