9月29日 (水)  「たかやん議員日記」2004.第196弾! 

「たかやん議員日記」2004.第196弾!  9月29日(水)

9月議会の感想
僕自身傍聴に行ったことは一度しかないので、偉そうなことは言えないが一度市民のみなさんに見て欲しいと思う。議員も30人いれば色々である。若いのに寝てばかりいる議員もいれば、(わが会派の平松大佑と羽根善保は決して寝ない!)船を漕いでばかりいる執行部の人もいる。特に傍聴が少ないとそういう傾向があるから、たくさん傍聴に来て欲しいのだ。
質問や討論で感じたことは「原稿」を読んでいる議員が多いということだ。その点、須田市長や笠原議員、星川議員、わが会派の幹事長の加藤議員などはいつも自分の頭で考えた言葉で話しかけるので説得力があるし、聞いていて面白い。ところが自分と意見が違うと最初から全然聞こうともしない人達もいる。自分の意見を全然言わない人たちも多い。それでは議会は活性化しないし、新座市の未来も危ない。

野党だから何でもかんでも市長に反対というのもおかしいけれど、与党だから何でもかんでも市長に賛成というのもおかしい。与党だからこそ、市長に反対ということだってあるのだと思う。イエスマンだけではいい市にはならない。要は本気で新座市のことを考えているかどうかだ。自分の気持ちが「市民」の方を向いているかどうかだと思う。市民ではなくて市長の方だけを向いていたらおしまいである。30人の議員が本当に自分の意見を持てるようになったら、新座市はまだなんとかなると思う。これは市の職員にも当てはまることだろう。

教育も同じだ。教師が校長や委員会の方ばかり向いていたら、教育はダメになっていく。教師はいつも子ども達のほうを向いていなくてはいけないのだ。校長にゴマをすり、校長は委員会に委員会の先生たちは教育長に教育長は県教委にゴマをするというしくみでは「教育」は荒廃していくだろう。教育もまたイエスマンだけではダメなのだ。

市長も教育長も会社の社長もこれからは器の大きさを問われていくのだと思う。自分にノーと言える人を大切にできるかどうかでその器の大きさは決まるのだ。努力をしないイエスマンをよりも会社の未来を考えるノーと言える部下を大切にできるかどうかである。