1月16日 (日)  「たかやん議員日記」2005.第16弾!

「たかやん議員日記」2005.第16弾!  1月16日(日)

続10年前
ホームレスだった僕らは毎日不自由な生活をしていた。お風呂は友達の家に毎日のように二人で入れさせてもらっていたが、机は無いし、テレビも電話も炬燵も無い生活はやはり寂しいものだった。地震が起きた時、学校が避難所になるように僕らも夜は学校の敷地にお邪魔していた。それは安全だったのとトイレと水があるからだ。 朝は早くから練習、夜も遅くまで練習。そして夕飯の後は校庭でよく「天体観測」をしていた。「あれがアルデバラン、あれがカペラ、あれがベテルギウス、赤色巨星で太陽の周りを回る火星の軌道よりも直径が大きいんだよ・・・・・・・。あの明るいのは木星だ。この間と少しだけ位置が違うだろ?」六中の校庭は光がなくて、星がよく見えるのだ。(殿山球場に照明がつかなければ・・・)
今思うと、僕は自分のいた中学校全ての学区域に住んでいたことになる。五中時代は野寺に住んでいた。家から五中までは10秒で行けた。朝練が終わって、朝食を食べに家に戻り、それから学校へ行っていた。熱が出て、年休を取り家で寝ていると、神さんがいつの間にか枕元に座っていて、「たかやん、あんたがいないと学年会が始まらないよ。」と呼び出しがかかったりしたこともあった。夏の暑い日には我が家に来て、シャワーを浴びていく先生たちもいた。
そして10年前、僕は六中の敷地に100日住んでいたようなものだ。その後は畑中に越したのだが・・・・そこは二中の通学区。僕は二中学区から二中に1年間通っていたのだ。当然、子ども達はわんさかやってくる訳で・・・・

今思うと、僕は本当に学校が好きだったのだろう。学校が好きで、子ども達が好きで、家庭のことなんか真剣に考えたことがなくて・・・・学級崩壊や学校崩壊は経験していないが、家庭崩壊はしっかりと経験してしまったのはそのせいだと思う。
もう数時間で1月17日になる。あの日の朝も気温はマイナス5度だった。僕らは真っ白に凍ったパジェロの中であの地震を知ったのだった。