1月5日 (水)  「たかやん議員日記」2005.第5弾!

「たかやん議員日記」2005.第5弾!   1月5日(水)

ももこよ
 おまえがぐずってしかたないとき
 わたしはおまえに
 げんこつをくれる
 だが 桃子
 お父さんの命が要るときがあったら
 いつでもおまえにあげる

この詩は八木重吉という人の詩です。僕の高校の先輩はこの詩が好きで、最初の子どもに桃子とつけたそうです。今、子どもを虐待する親がたくさんいます。きっと自分が一番大事なのでしょう。でも、もしかしたら自分のことも愛することができない人たちかも知れません。人は愛することで顔がよくなっていきます。人相の悪いあの親達はみな愛するということそのことが、できない人たちなのかも知れません。人をたくさん愛した人はいい顔をしています。いい顔になるには人を愛せばいいのです。みんなでいい顔になろうではありませんか・・・・・・。

それにしてもこの詩はたったの数行なのに、最後の三行だけで泣きそうになります。僕の父さんは、きっと同じ気持ちで僕を見ていてくれただろうと思うからです。そして僕も今、雪や亮や空に対して同じ気持ちでいるからです。もっとも最初に誰かに命をあげてしまったら、残った二人には申し訳ないのですが・・・・。

ただ、例えば僕の目があったら、目が見えるようになるとか、腎臓があったら、病気が治るとかだったら、躊躇しないであげてしまうと思います。親にとってこどもというのはそういう存在なのです。少なくても僕の心の中では・・・・。
だけどあの人たちもきっと、小さい頃愛されなかったのだと思います。愛されなかったから、愛し方を知らない・・・。「虐待」という言葉が世の中に増えてきました。そんな嫌な時代だからこそ、この「桃子よ」という詩が光るのかも知れません。    

去年の2月の塾日記を読んでいたらこんな文章がでてきました。もしかしたらゲンコツも「抱きしめ」なのかも知れませんね。