10月2日 (日)  「たかやん議員日記」2005.第271弾! 

「たかやん議員日記」2005.第271弾!  10月2日(日)

親不孝
朝、母さんに電話をした。「今日、父さんの命日だよね。」すると母さんは「最初に亡くなったのは今日だけど、人工心肺で一日伸びて、3日の日よ。」と言ったのだ。25年前のこととはいえ、父さんの命日を間違えて記憶していたとは・・・親不孝な息子である。
陵平が飛んでしまった日が9月30日。息を引き取ったのが10月1日。父さんが息を引き取ったのが2日、そして亡くなったのが3日。これが正しい。つまり陵平と父さんの命日は違う日なのだ。訂正してお詫びします。父さんにも「ごめんなさい。」

運動会
今日は市民運動会の日。招待状ももらっていたが、僕は子ども達とサッカー、テニスに燃えた。3年半ぶりの子達との再会は僕の心に開いていた穴をしっかりと埋めてくれた。

六中テニス部の心
7時前に彼らは来ていた。そして公園を掃除していた。六中テニス部が毎日やっていたことを今朝も彼らはやってくれたのだ。お陰で僕が到着した時は、公園にゴミは落ちていなかった。男の子達は本当に大きくなっていた。小さかったイクが173センチ。しょうへいは179センチ。そしてゆうたは183センチになっていた。ムーミンとゆうきは昔と殆ど同じサイズだったがいい体になっていた・・・・・みなとかおりは中学時代とかわらなかった。女の子は中学時代に縦の成長が止まることが多いから・・・。

サッカーは滅茶苦茶面白かった。運動神経のいい集団だったんだと感心するほど、彼らはよく動いていた。僕達は3年間の空白を埋めるかのように懸命にボールを追いかけた。

「お願いしまーす!」懐かしい声がコートに響いた。僕の球出しに子ども達が自然に反応してくれた。テニスは勿論、ボールボーイもコート整備も一生懸命やってくれた。そして言葉遣いも・・・・僕が教えたことは、彼らの心の中でちゃんと生きていた。大学受験で大変だけど、また一緒にやろう。みんな、今日は本当にありがとう。

横浜
「また来てくれたんか!」「ありがとな、邑」和彦はそう言って、僕の手を握り締めた。足の付け根に激痛が走り、モルヒネの量が増えたというのに、僕達と話しているときは普通に話し、そして冗談も言う。僕達が病人であることを忘れるくらい、和彦は気力を振り絞っていたのだと思う。空が「ABC song!」を繰り返し歌い、病室中大笑いだったが・・・僕は和彦が辛いんじゃあないかと気が気ではなかった。
「邑、お前のお陰で・・・お前が来てくれるから・・・俺はこうして頑張っていられるんだ。」和彦はそういった。僕らは帰るときに「じゃあ、またな!」そう言って握手をするから・・・。僕らは今日も「またな!」と握手をした。和彦の手が「ありがとう!」と言っていた。来週も同じ握手ができるといいのだが・・・・帰るときには毎回、これが最後かも知れないと思ってしまうのだ。

踏み切り
横浜から新座に帰る途中には線路がいくつもある。小田急、京王、井の頭、総武、西武新宿、西武池袋・・・その電車を見るのが、空と僕達夫婦の楽しみである。
「電車だ!」とママが見つけると、身を乗り出して電車を見つめる空。昔は踏み切りの遮断機が下りているとイライラしていたが、最近は踏切が楽しみでしょうがない。遮断機が下りれば、電車を見ることができるからだ。電車を見るために、遮断機が下りるまでグルグルまわっていることさえある。人間の心は面白い。嫌だったことが、楽しみになったりするのだ。心の持ち方で人は幸せになれるのかも知れない。