10月20日 (木)  「たかやん議員日記」2005.第289弾!

「たかやん議員日記」2005.第289弾!  10月20日(木)

先生
ある小学校の6年生の話である。落ち着きの無いM君を担任のS先生は毛嫌いしている。毎日M君を言葉で傷つけていることにも先生は気付かない。担任の先生は自分が学校で一番優れた教師だと思っているから、自分の感性だけが正しいと思い込んでいる。ある時はM君の母親を呼びつけ、「この子はADHDです。」「病院で検査をしてください。」と要求する。最近になって「M君は中学校の普通学級には無理です。特殊学級へ行かせて下さい。」と言い出した。「普通学級へ行ったら、ついていけなくてM君のためになりません。」というのだ。
実はS先生はM君の実力を知らない。小学校6年間の漢字を全部読めることも、分数の足し算引き算ができることも知らない。M君を見ていないから気付かない。今、小学校6年生でそういう子どもがどれくらいいるだろう。通分ができない中学生など、ざらにいるのだ。そのくせ「僕はM君とずっと一緒にいるんです。M君のことはお母さんよりも分かります。」と平気でいう。人間っていうのは一緒にいる時間で理解するものじゃあない。そんな簡単なことすらこのS先生は知らないのだ。
大体僕がS先生なら、M君が中学校へ行っても困らないように、毎日放課後一緒に勉強するだろう。先生っていうのはそういうものなのだ。このS先生は自分が何もしないで「普通学級は無理です。」と決め付けるのだからどうしようもない。こういう人が先生をやっていることにも驚くが、こういう先生を野放しにしている管理職の能力の低さにも驚く。
M君はS先生が嫌いだから、先生の言うことを聞かないのだ。先生が自分のことを嫌いだと全身で感じているのだ。M君にとってはそれが精一杯の抵抗なのだ。
中学校の担任でさえ、子ども達にとっては大問題である。それが小学校ともなるとこれはもう死活問題といってもいいくらい、子ども達の人生に影響があるのである。先生の一言で子ども達は「やる気」を出し、先生の一言で子ども達の心は「死んでしまう」のである。
S先生には先生としてよりも、人として大切なものが欠けている。
どんな子にだって、きらっと光る何かがあるのだ。それを見つけようとするかしないかが先生の分かれ道なのだ。S先生はその分かれ道を間違って選んでしまったらしい。先生はそれでいいかも知れないが、子ども達は毎日少しずつ先生に自分の心を殺されていく。先生という職業は恐い職業なのである。

子どもサイドから物事を見ない教育委員会には、こういう話は伝わらない。子ども達の実態は先生の話をいくら聞いても分らないものなのだ。校長の話を聞いて、その学校の実態を知ろうなどというのは論外なのである。