10月6日 (木)  「たかやん議員日記」2005.第275弾! 

「たかやん議員日記」2005.第275弾!  10月6日(木)

先生の言葉
僕は作文が大の苦手だった。だから先生に誉められたことが一度もない。僕の作文を誉めてくれたのは、死んだ父さんだけ。父さんは文章の専門家だったから、それを頼りに今まで学級通信や塾日記やこの議員日記を書いてきた。でも、心の中に(先生に誉められたことがない。)というコンプレックスは存在し続けていたのかも知れない。
ところがこの日記の読者の中に、小学校の現役の先生がいらして・・・僕の文を誉めてくださったのだ。生まれて初めて、自分の文章を本物の先生に誉められたことに気付いた僕は、これで作文コンプレックスから逃げ出せると思った。50過ぎのおっさんにでさえ、先生の言葉は重いのである。もしかしたら作文は得意なことなのかも・・・と今は思い始めている。ところが、僕の経験では教師はそのことに気付いていないことが多い。どの先生の言葉でも子ども達に与える影響は大きいのだ。教師は「役者」でなくてはいけない。選び抜かれたセリフで子ども達を落とすのである。言葉で子ども達を泣かせたことのない先生はまだまだ素人の域をでていない。選んで、練習してやる気にさせる。そして泣かす。それがプロである。少なくても僕はそう先輩達から学んできた。誰も口では教えてくれなかったが、背中でそう教えてくれた。

マニュアル
問題?のある生徒と接する時に、指導マニュアルなど役に立たないことが多い。マニュアル化すること自体が勘違いかも知れないのだ。それ程子ども達の表面と心の中は違う。同じような茶髪でも中味はみんな違うのだ。昔、僕の真似をして、生徒と何でも一緒にやろうとして失敗したベテランの先生がいた。僕はそのベテランの先生のように言葉の力で子ども達を変えようとして失敗した。同じように子ども達を愛していても、違うやり方でしかうまくいかないこともあるのだ。勿論、先生の年齢や経験によっても接し方は違ってくる。それを「同一行動」とか「共通理解」という言葉で接していると、自信満々に話されるとがっかりする。良識のある教師に言わせると「素人」の考えにしか思えない。一見まともそうだが、実は裏に恐いメッセージが隠されているのだ。北朝鮮の常識を子ども達に教え込むことに意味はない。マニュアルで育てられるほど、子ども達は単純ではないのだ。いったいどこの誰が「同一行動」とか「共通理解」とかいう言葉を教育界に持ち込んだのだろう。教育大、学芸大、埼玉大、早稲田・・・まさかねえ。