11月1日 (火)  「たかやん議員日記」2005.第301弾! 

「たかやん議員日記」2005.第301弾!  11月1日(火)

13時44分
今、僕の目の前には和彦と空と僕が写った写真が置いてある。日付は9月19日。和彦入院したと聞いて病院に初めて駆けつけた日の写真だと思う。少し痩せた和彦だが、目には力があってカメラの方をしっかりと見つめている。

通常の人は10万から40万の血小板数値なのだが、入院時は2万5000.ホスピス入院時は1万で、余命一週間と言われた和彦。「あと1週間」「あと数日」「11月の声を聞くのは無理でしょう」と医者に言われながら、和彦は今日まで頑張った。

昨夜も今朝も僕のメールに反応してくれた和彦。言葉は喋れなくても、僕のメールにはうんうんと頷いてくれていた和彦。そんな和彦が今日13時44分に逝ってしまった。

和彦の奥さんから電話があると、僕はいつも涙声になってしまう。そんな僕のことを奥さんの方が気遣ってくれて、今日も知らせをくれた奥さんに「大丈夫ですよ。夫は邑さんのことが大好きだから、いつもそばにいますからね。」と逆に慰められてしまった。奥さんと三人の素敵な娘さんたちは、この一月半でどれだけ神経をすり減らしたことだろう。僕とは比べ物にならないくらいの涙を流しているはずだ。

だけど、あいつは幸せだったんだ。そう思うことにした。愛する家族に一月半も看病してもらって、家族全員に見守られながら逝ったのだから・・・・。

和彦からの最後のメールは30日の17時26分。「不慮の幸運もあったようで、悪いことばかではないのが嬉しい。君もがんばれ」だった。その前のメールは「大丈夫、忘れないよ。また会おうな。」だった。

和彦。また会おう。約束だぞ。俺も頑張るよ。今度会うときはお前がちゃんと迎に来てくれよな。ちゃんといい場所を見つけて待っていること。おれが爺さんになっても、ちゃんと見つけてくれよ。じゃあな、和彦。またな!

駄目だ。一人になると涙がでてくる・・・・。胸が痛くなって・・・・あいつの笑顔が浮かんでくる。あいつの手のぬくもりを思い出す。僕の大事な人がどんどんいなくなってしまう・・・。素敵な人と出会えば出会うほど、別れる時は辛い・・・・。

18歳の頃、北大で出会った僕ら。同じ35組というドイツ語専攻のクラスで「邑」と「土肥」・・・出席番号が近かっただけなのに、それで友達になった僕達。圧倒的にあいつの方が成績が良くて、僕は劣等生で・・・・それでもこうして、僕達は今まで繋がって生きてきた。函館の七重浜の丸山アパートで、あの頃の僕らは「未来」を語っていた。毎晩のように酒を飲み、毎晩のように麻雀をしながら恋の話をした・・・僕らは30年前、青春真只中だった。あいつはいつも僕のことを心配してくれた。そして僕の恋の話の聞き役でもあった。

3日の御通夜ではあの頃の友達とも会えるだろう。昔のあいつのことを沢山思い出せるかも知れない。4日の告別式も僕は「じゃあまたね!」と言うつもりだ。

僕は今日、久しぶりに髭を剃った。「邑、ありがとな!」そういう和彦の声が聞こえたような気がした。