11月12日 (土)  「たかやん議員日記」2005.第312弾!

「たかやん議員日記」2005.第312弾!   11月12日(土)


5時45分。外は雨が降っていた。どうやら朝のサッカーとテニスは中止のようなので、ゆっくりと新聞を読んだ。たけしの日本教育白書に目が行った。

小児科
午後1時前、空の体が熱いことに気付き、熱を測ってみると38度6分。「お医者さんもう受けつけ終わっちゃったわ。」「駄目もとで電話してお願いしてみたら?」
その小児科の先生だと空は泣かない。一度も泣かないのだ。どうやら優しいオーラが出ていると思っていたのだが・・・・
もう診察は終わっているというのに「直ぐに来てください。」とのこと。車ですっ飛んでいった。確かに空は泣かなかった。「あーんして。」「お胸見せて。」聴診器を当てられると、キャッキャと笑う。確かにその先生には不思議なオーラが出ていた。
子どもの具合が悪くなると、親の頼みは小児科の先生である。そういう優しくて優秀な先生が居てくれるだけで、親は安心するのだ。

義務教育   最近の塾日記から・・・
「行きたい高校がない・・・」時々そういう声を耳にする。「高校なんて行きたくないけど、親がうるさいから行ってやるんだ。」という声も聞こえてくる。
行きたい高校を15歳になっても自分で見つけられないのなら、行きたくなるまで行かなければいい。そして15歳で世の中に出て働いてみることだ。義務教育は15歳で終わるのだ。親の義務はそこで終了である。高校へ行って当たり前、大学へ行って当たり前ではないのだ。高校へ行く時は、親に頭を下げて「○○高校を受験させてください!」とお願いすることだ。そして「3年間の授業料をよろしくお願いします!」と頼むことも忘れてはいけない。
親は子どもの為になら、いくらでも払おうという気持ちはある。無理をして働いてでも「学費」だけはという気持ちがある。だけど「勉強したくない」阿呆まで学校へ行かせてはいけないのだ。勉強できることが幸せだということを15歳になっても分らないようなボンクラはどうせ高校へ行っても何も分らないだろう。それこそお金を溝に捨てるようなものだ。世の中には勉強したくても学校へ行けない子ども達が数え切れないくらいいるのだ。少し前の日本にもそういう子ども達がたくさんいたのだ。
「テストが嫌だ!」「勉強がかったるい!」馬鹿を言ってんじゃあねえ。今の義務教育だって、お前達には学校へ行く義務などない。あるのは学校へ行く権利だけだ。学校へ行って、ふざけて友達の勉強する権利を平気で奪っている阿呆もたくさんいる。そんなに勉強が嫌なら学校へ行かなければいいのだ。そんな子ども達の為に、大人達は高い税金を払っている訳じゃあない。塾だって同じだ。学校へ通わせてもらっている上に、塾まで行かせてもらっているのだ。どれだけ親に感謝してもし尽くせないほどだ。本気で勉強しなくてどうするのだ。義務教育最後の3年間で、学ぶ意味も分からないようでは高等教育を受けるには素質が無さ過ぎる。「目覚めなさい!」とどこかの女の先生が言っていたが、あの先生のメッセージの意味も理解できていないのだろう。頭だけで分って欲しいが、ある程度の脳みそがないと分からないかも知れない。そいう時は心で分ればいい。あの人の言っていることだからきっと正しい。何を言っているかよく分らないけど、何か心に残る。だからその通りにやってみよう。それでいいのだ。頭でも心でも分らないときは・・・・学校にも塾にも行く必要はない。行っても無駄なだけだ。まだ15歳ではない。もう15歳なのだ。あと5年したら20歳で成人だ。もう四分の三は大人なのだ。結婚もできれば選挙権もあるのだ。それなのに自分の「夢」一つ語れないようでは恥ずかしいと思わなくてはいけない。高校は親が決めるものでも、先生が決めるものでもない。自分が決めるものなのだ。そして親の経済状態も考えた上で「○○高校へ行かせてください!」「一生懸命勉強します!」というものなのだ。本気で勉強する約束ができないのなら、学校へ行ってもしょうがない。脳みそも資格も何も無い状態で社会にでることだ。自分の力で生きてみることだ。