11月6日 (日)  「たかやん議員日記」2005.第306弾! 

「たかやん議員日記」2005.第306弾!  11月6日(日)

煙草アレルギー3
結局あれから3次会に行って・・・そこは煙もうもうで・・・・僕は今朝、吐きまくった。吐いた後に「朝ごはん食べるよ。」と言ったら「嘘!どうして吐いた直後に食べられるの?」と聞かれた。ま、それが水産学部の特技っていやあ特技だ。

石神井高校
僕らの母校が新校舎に建て替えられるらしい。今日のOB会は懐かしいテニスコートでの最後のOB会だった。コートへ行くと2年先輩の杉原さんが手を振っていた。高校時代は口をきくことも大変だった1年生と3年生だが、最近はよきダブルスのパートナーだ。最初に僕達に挑戦してきたのは若手のOBの二人組み。玉の速さは向こうの方が上だが、コントロールの正確さとゲームの流れを読む感覚は僕らのほうが上。結局6−1でおっちゃんチームの勝ちだった。その後も現役の子達と試合をして、6−0,6−0,6−0,6−1とおっちゃんは勝ち続けた。僕らが勝つのはいいけど、現役の子達にもう少し練習して頑張って欲しいと思った。

あの頃
15歳の僕達は毎日吐くような練習をしていた。始発電車に乗り、帰ってくるのは夜の9時、10時。夕飯は喉を通らなくて、風呂にも入れず寝る。授業中は目を開けていることができず、ひたすら眠り続けた。休み時間に弁当を食べ、腹が減るから昼休みにパンを買って・・・・毎日ボールボーイとトレーニングだけの練習。夏休みに入るまではボールを打つことなど一度もなかった。たくさんいた1年生は夏休み前に半数以下になっていた・・・・。

秘密
僕達の代のテニス部は8人が最後まで残った。その内の4人はそんな練習をしていたにもかかわらず成績優秀者の上位20人に常に入っていた。そして残りの4人はそんな練習だったので常に学年の下位20人にはいる「成績劣等者」だった。勿論上位の4人は早稲田、東工大、電通大、都立大と殆ど現役で進学した。だけど下位の4人も全員浪人したけど、日大、法政、武蔵工大、北大と大学には入ったのだ。その秘密は受験勉強が石神井テニス部の練習やトレーニングに比べたら「楽」だったことだった。どんなに勉強してもあの苦しいトレーニングと比べたら屁みたいなもの。だから僕らは大学へ行けたのだと思う。先輩達も同じで、杉原さんは早稲田だし、国体選手の鍛治さんは慶応、都のチャンピョンだった松田さんは立教、そして松田さんのパートナーだったキャプテンの高野さんは上智。同じように苦しんで練習して耐えてきた先輩達がそうやって大学に入っていくのを見て、なあんだ早稲田や慶応は結構簡単なんだ・・・・僕らはそう思うことができたのだ。
そして僕らの後輩達も、僕らが大学に入っていくのを見て「なあんだ!大学って結構簡単に入れるんだ。」そう思ったはずだ。1年後輩の岡本は東大へ行ったし、井上は早稲田。2年後輩の角野は立教・・・・同じ苦しさを支えに僕らは「受験」という山を登ってきたのだと思う。1年先輩の高野さんが1年生の最後の春休みにコートで言った言葉を今でも覚えている。「お前達はこれから何でもできる。石神井のトレーニングよりも苦しいことなんか無い。受験勉強だって辛く感じないはずだ。」これが当時の高校2年生の言葉なのだ。多分その言葉は高野さんの先輩からの言葉でもあるのだろう。そして僕自身も後輩達に同じ言葉を伝えていったのだと思う。
そういう意味では今の現役の子ども達は可哀そうである。厳しい辛い練習をしないから、テニスも強くならないし、進学もどうもぱっとしないらしい。15歳くらいで、一度自分の体の限界、精神力の限界を体験しておくのはいいことなのかも知れない。

偶然
高校の近くにできた新しいラーメン屋さんでばったり教え子に会った。何しろ40歳になっている子なので確信はもてなかったのだが、声をかけないで後悔するのは嫌だったから思い切って「藤森さんですか?」と声を賭けて見た。最初はキョトンとしていたのだが、僕が「晶子のお兄さんですよね?」と聞くと「先生ですか!」とお兄ちゃん。お兄ちゃんには理科を妹には理科とテニスを教えたのだ。隣に座っていたお母さんとも久しぶりに会って今日も素敵な偶然に感謝したのだった。

先輩
最後は杉原さんの家で軽い飲み会。ビールで乾杯した。消防庁で偉くなっている同級生の石田も来て、昔話に花が咲いた。実は杉原さんの奥さんもテニス部の1年先輩。現役の頃は話ができるような雰囲気ではなかったのだが、もう笑いっぱなしで話しまくった。ひさしぶりの空を見て「大きくなったねえ。」「おりこうさんだねえ。」と笑顔一杯の杉原さん。最近本当のおじいちゃん、おばあちゃんになったので顔がそういう顔になっていた。あれからもう35年も経っているのに、こうして何も考えずに、気を使わないで話せる先輩がいてくれる。本当に石神井のテニス部でよかったと思った一日だった。煙草の後遺症でまだ頭は痛いが、心は今日も爽やかである。