11月9日 (水)  「たかやん議員日記」2005.第309弾! 

「たかやん議員日記」2005.第309弾!  11月9日(水)

笑顔
嫌なことがあっても、空の笑顔を見ると思わず笑顔になっている自分がいる。子どもの笑顔には邪念がない。無邪気な笑顔は人の心を和ませてくれる。僕は昔、教室でそういう笑顔を探した。その笑顔を見つけて、自分も無邪気な笑顔にするのだ。その笑顔をキープしていると、それがどんどん伝染していって、教室中がその笑顔になっていく・・・・・職員室で頭にきても、僕はそうやって笑顔を保つことができた。
朝、家で嫌なことがあっても校舎に入るときは無理やり笑顔を作る。テニスコートでは無理やり怒った顔を作ることもあるが、校舎の中は笑顔を意識していた。本物の教師はきっと無意識に笑顔になれるのだろう。だけど、僕はまだ半人前だったから、意識して笑顔になっていたのだ。
自分が生徒になってみれば直ぐ分る。朝一番に担任の先生の心からの笑顔を見るのと、しかめっ面を見るのとどっちが笑顔になりやすいだろう。どんな問題児だって、まだ13、14、15歳なのだ。「こいつらは無理だ。」と決め付けないで、笑わせてやるくらいの意気込みが欲しい。教師も人間だから、生徒の嫌な顔を見ると、どうしても反応してしまう・・・・。だけどそれでは子どもと同じレベルだ。ちょっと我慢して、かわして、笑顔。それがなかなか難しいのだが、ベテランはそれをやる。教師は「役者」でなくてはいけないのだ。
生徒に挨拶をさせるのは簡単だ。自分が飛びっきりの笑顔で先に挨拶をすればいいのだ。それを毎日数週間続ければ、殆どの子ども達は自分から大声で挨拶するようになる。チャイム着席も簡単。自分がチャイムが鳴り終わる前に教室に入っていればいい。そして遅刻した子どもがいたら「1秒で1回、腕立て伏せ」自分も一緒にやれば体罰にはならないし、自分の体も鍛えられて一石二鳥。掃除をやらせるのはもっと簡単だ。自分が楽しく一緒にやればいい。清掃監督はいけない。そもそも監督することがおかしい。生徒だろうが教師だろうが自分が使ったところは一生懸命きれいにする。掃除はやらせるものじゃあない。掃除の心を伝えるのに、自分が楽をしてはいけないのだ。生徒にジャージを強要するなら、自分もジャージでやる。生徒に短パン半袖を強要するなら、自分も半袖短パンになる。それを一月も続ければ、自分が休んでも生徒達だけでやってくれるようになる。学校の掃除は人数が多すぎるのだ。だからみんなで本気でやればあっという間に綺麗になってしまう。汚かったら学活は終わらないくらいの気合も必要だ。今、汚れている学校は先生が掃除の仕方を知らないのではないだろうか・・・少なくても掃除の本当の楽しさを知らないような気がする。
毎日何度も鏡で自分の顔を見てみることだ。その顔を子ども達は毎日見ているのだから・・・・
教師は大変な仕事だ。親の代わりはできないし、滅茶苦茶な親はいるし・・・でも、笑顔になることはできるはずだ。笑顔の表情筋を鍛えるのだ。

自転車
夕方はこぐと汗をかいたが、夜はいくらこいでも寒かった。もう11月なのだから当たり前と言えば当たり前。それにしても新座の道路は走りにくい。歩行者や自転車には実に不親切な道が多い。車椅子ではもっと走りにくいだろう。そういう発想がなかったのかも知れないが・・・・。