3月1日 (火)  「たかやん議員日記」2005.第60弾! 

「たかやん議員日記」2005.第60弾!  3月1日(火)

校長2
五中時代、僕はもう一人凄い校長と出会っている。彼は子ども達からも僕達教師からも愛された校長だった。僕は何度も校長室に呼ばれている。「ともやん、よかったよ。」と誉めること7度。「邑、お前のそういうところが駄目なんだ!」と怒られること3度。そんな割合だったと思う。そのタイミングのいいこと。初めに誉めてくれるから、怒られても不思議と納得してしまうのだ。僕がこの人が大好きだった理由はまだある。彼は子ども達の名前を全部覚えていたのだ。そして校長室の窓から子ども達を呼びとめ、笑顔で話をしてしまう。そんな校長だった。文化祭ではいつもハーモニカの演奏をしてくれた。そう彼はいつも温かい何かを持っていたのだ。彼は五中を去るとき、目に涙を溜めながらこう言った。「好きです五中」と。その後二中でも同じ言葉を言ったらしい。「好きです二中」と。
彼は僕のクラスで授業をしてくれたこともある。子ども達が大好きなのだ。授業をすることが好きなのだ。根っからの「先生」だったのだと思う。彼はその退職後、私立の高校で英語を教え続けた。現役に戻ったのだ。その能力の高さもさることながら、教えることを生きがいとする大先輩を僕は忘れることができない。僕も生きている限り、子ども達に何かを伝え続けたいと思う。

僕自身は何故校長になろうとしなかったか・・・・。実は昔随分、勧められた時期があった。「管理職試験を受けろ!」と問題集ももらった。だけど、それを読んで愕然とした。管理職になるということは「教師」を辞めることだとおもった。
管理職になったら、クラスを担任できない。授業ができない。部活ができない。これは僕にとっては違う職業に就きなさい!と言われるのと同じである。部活は我慢したとしても、自分のクラスが無くて、授業もできないというのは「生きがい」を無くすのと同じである。だから30代の頃から僕は管理職を目指すことを辞めてしまった。(まさか教師を辞めるとは思わなかったが・・・・)それでも多くの管理職の中には授業をやる人もいるし、部活をやる人もいるようである。そういう学校はきっと何か雰囲気が違うのだろう。何かはよく分からないが・・・・。

明日から議会が再会する。大変な議会が本格的にはじまる。