3月23日 (水)  「たかやん議員日記」2005.第82弾! 

「たかやん議員日記」2005.第82弾!  3月23日(水)

ああ失敗
今日の一般質問で僕は大きなミスをした。土地開発公社の利息のことで、数字を勘違いしたのだ。50年と5年ではこれは全然違うことな訳で・・・・詳しくはあとで議事録を読んでください。ああ、穴があったら入りたい。そう思った、たかやんであった。

英語
質問をしている途中で何を思ったか英語で話をしてみたくなり、議長に「ちょっと英語で話していいですか?」と聞くと「いいですよ!」と議長。こういう太っ腹なところが僕は好きなのだが・・・・英会話の授業の「絵本」のところで、僕はこんな話をした。(多分、こんなことを言ったのだと思う。忘れないうちに書いておこう。正確には覚えていないのだが・・・・)

I was born and raised in Shinjuku, Tokyo. And I went to Shinjukukuritsu NIshitoyama junior-high. I remember my English teacher Mr. Nakada singing lots of English songs in front of us at the beginning of his classes. He sang “500 miles” “ where have all the flowers gone” “ puff” and other songs with his guitar. We were always looking forward to his songs.
He also brought an American lady named Mrs. White to class. She taught us English every Thursday for about a year. She could speak only English and no Japanese. So, we had to concentrate on her English. At first, we didn’t understand her English at all
, but after a couple of weeks, we were getting a little bit better. After her class, we would go to Harajuku where the Olympic Stadium was. And we would find strangers to talk to, of course we looked for foreigners. And we would ask them many things in English like “ Hi! How are you?” “ May I ask your name?” or” do you like cats?” and so on.
We were very glad that we could talk to many people in English. So, we loved English and I still love English.

ま、要するに13歳の時に中田先生という素晴らしい先生と僕は出会って、彼は授業の前に必ずギターで歌を歌ってくれたのだ。そして今のAETのようにミセスホワイトというアメリカ人を連れて来てくれて、僕らのクラスに英語を教えてくれたのだ。僕らはその授業が楽しくて、楽しくて・・・代々木のオリンピック体育館にスケートに行っては、外国の人を見つけては習ったことを直ぐに「実践」していたのだ。僕が今も英語が好きなのはこの先生の影響が一番大きい。僕の隣りに座っていた裕美さんは都立駒場に在籍しているときに「通訳」の試験に通ってしまったし、反対隣のみはるさんは都立青山からお茶大に進み、ハーバードの先生になってしまった。そう、みんなその中田先生の英語の授業のお陰で、一生英語と関わって生きていくことになったのだ。松香フォニックスの松香先生も授業の最初は歌で入るのがいいですね。と言っていた。そして授業の締めくくりは「絵本」がいいですね。とも・・・・・。

まあ、英会話の話をするわけだから英語でもいいかなと思ってしまったのだが、話している途中で「何で英語で話してんのよ!」と革新無所属のH議員から野次が飛んだ。
僕は Icouldn’t believe my ears. だった。わずか1〜2分英語で話しただけなのに、我慢して聴けないのでは中学生以下だと思ったから。大体人の一般質問の時間に「野次」を飛ばしすぎるのだ。僕は誰の発言にも「野次」を飛ばしたことはない。自分がやられて嫌なことは人にもしないようにしているのだ。
英会話を教育特区でやるということは、会議とかでも英語で話をすることが当たり前になるということだと思うのだが、違うのだろうか。

二中
今回は二中という言葉を僕は一度も言わなかったと思う。二中の校長先生との約束である。確かに今の二中とは関係がないから・・・・。教育長は随分「二中」と言っていたけれど・・・。
これからも出来る限り、「二中」という言葉は使わないようにしたいと思っている。

時間が制限された中での質問はなかなか難しい。ちょっとため息がでるたかやんであった。