5月2日 (月)  「たかやん議員日記」2005.第122弾! 

「たかやん議員日記」2005.第122弾!  5月2日(月)

ゴールデンウィーク
五中時代は子ども達のテニスの大会で「ゴールデンウィーク」でもなんでもなかった。六中時代は練習に明け暮れた。要するに家族の為のゴールデンウィークは存在しなかったのだ。家族といるより、学校の子ども達と一緒にいる時間のほうが圧倒的に多かったのだ。今思うと、上の娘と息子には悪いことをしたなと思っている。僕自身、父親とはほとんど遊びにいった記憶はない。僕が子どもの頃はゴールデンウィークもなかったし、家族でキャンプや旅行などをする人たちは殆どいなかったと思う。そういう時代だったのだろう。家に車のある家は稀だったし、飛行機に乗るなんてことは月へ行くようなものだった。あの頃の僕らは貧しかった。僕らは5円玉を握り締めて新大久保から山手線に乗り、新宿、代々木、原宿・・・渋谷・・・・東京・・・上野・・・池袋・・そして高田馬場で下車をして百人町の公務員住宅まで帰って来るような遊びをしていた。電車に乗ること自体が立派な遊びだったのだ。
一度新大久保の駅前で200円の銀色のピストルを買ったことがあった。兄貴と二人でお金を出しあって買ったのだが・・・父さんは激怒して「返して来い!だらめが!」。僕は泣き泣きピストルをおもちゃ屋さんに返しに行った。代わりに買ったのが30円のピストルだった。父さんと遊ぶなんてことは考えたこともなかった。小学校1年生の時に麻雀を教えてくれて、それからはお正月になると麻雀はしてくれたが、それ以外で子どもの頃父さんを遊んだ記憶はない。父親に遊んでもらえなかった子どもは、自分の子どもともどうやって遊んだらいいのか分からないのかもしれない・・・・。少なくてもあの頃の僕はそうだったのだろう。
上の娘や息子にして上げられなかった分、今のチビにしてあげようと思っている。明日は西武園遊園地で遊ぶ予定である。