6月11日 (土)  「たかやん議員日記」2005.第163弾! 

「たかやん議員日記」2005.第163弾!  6月11日(土)

虜囚日記抄2

二十年 九月二十×日
山の陣地を引き払って、久しぶりに民家に寝た。何だか皆が急に人間らしくなったようでもある。明日は武装解除だ。兵器は十分に手入れせよとのこと。通信の篠崎隊長は「関の孫六だけは渡せない。」と油が紙に包んで埋めたそうだ。何時の日か取りに来るつもりであろう。

九月二十×日
チャイト駅前の倉庫で武装解除を受けた。丸腰になったことは一寸淋しかった。グルカ兵が「プリズナー」と呼ぶ。兵器を捨てた菊部隊は、もう恐れることがないということか。明日は収容所へ移るそうだ。

九月二十×日
シッタン河を再び見た。トロッコで通過する旧戦場には、自動車や兵器の残骸が列をなしている。この中で死んだ戦友よ、本当に運がなかった。しかし、私達の運命も先は分からないのだ。

十月×日
煙草が欲しいので、学校の先輩の野口軍曹に頼んで、時計と交換してもらった。親父の遺品のスイスの十六石が、煙草三十ケに化けたが許してくれるだろう。が、結局皆に分けて、手もとには五ケ残っただけである。

十月×日
戦歴調査をまたやられた。憲兵や特務機関のものは別の収容所にいれられているが、一般部隊にもぐったのもいるからだ。現に、うちの連隊にも二人はいる。見つかると有無を言わさず処刑であろう。私達学徒出身はその点至って楽観的である。

十月二十×日
昨日加島中尉の隊で下士官、兵が騒ぎ、彼は部下に頭を下げたそうだ。彼も大分手荒い中隊長だから。
作業でも、私達若い少尉がいつも作業指揮で兵と一緒に汗を流しているのに、連隊や大隊の幹部は、碁と麻雀の明け暮れである。こちらは作業から帰るとくたくたで、何をする元気もない。
塩の配給が少ないのに、四十度を越える暑さの中の重労働で水を飲むし、汗がしたたる。吹き出た汗は水のような味しかしない。これでは体力がなくなるのは当然だ。しかし乾季になったので朝晩はしのぎやすい。

* 父さんの日記からいろいろなものが見えてくる。どこの世界にも威張るだけで何もしない奴らはいるものだ。上官の命令は絶対という世界が一番危ないのだ。人間が人間でなくなっていくから・・・・・。