6月20日 (月)  「たかやん議員日記」2005.第172弾! 

「たかやん議員日記」2005.第172弾!  6月20日(月)

陵平のこと・・・
今回の一般質問で陵平のことを質問しなかった。議員になってから毎回質問していたのに・・・。でも、僕は陵平のことを忘れてしまった訳ではない。今回の質問だって、いつも陵平のことを意識していたのだ。本当に“カウンセリンングマインド”のある指導をしているかどうか・・・そこがポイントである。

空が帽子を被るようになった。何度かぶせても「やーや。」「いたい!」と言って被らなかったのだが、「かっこいい。」「かわいい。」と言っているうちに被るようになった。これから日差しが強くなるので、ちょっとホットしている。僕はこういうほんの一寸の空の進歩が嬉しくてしょうがない。空は毎日毎日少しずつ進化している。それを近くで確認できる僕は幸せである。上の二人の子たちは、そういうことには全く気づかなかった。朝から晩まで学校にいたから、気付かなかったのだ。

空を見ていて、いつも僕は陵平のことを考える。余りにも短かった陵平の人生を思うのだ。空が中二までしか生きられなかったら・・・ガムやライターごときで自尊心を傷つけられたら・・・・。そう思うだけで“怒り”や“不安”が僕を包んでしまう。新座の学校は本当に大丈夫なのか?と。あれからちっとも変ってないのではないか。どんどん悪くなっているのではないか・・・最近の色々な情報が入るたびにそう思うのだ。

陵平のためにできること。陵平の両親の代わりにできることはなんだろう。僕はそのことが心から離れない。“時間”で解決できることとできないことがあるのだ。雪や亮は友達や先生達のお陰で「危険」な時期を無事に通過することができた。あの当時の五中も六中も全然管理的ではなかったから・・・・先生達にも余裕があったのだ。

この間の議会で「学校は刑務所のようなところ・・・」とH議員が発言したことで、議運が開かれたが、そう親や子ども達が感じることは確かにあると思う。「軍隊」「刑務所」「体育大学」・・・命令と服従が要求される場所に「規律」はあっても「自由」がない。上官や上級生の気まぐれによる「自由」はあるかも知れないが・・・・そう誰かが言っていたが、なるほどな、と思う。

僕自身は石神井高校テニス部で「体育大学」のような環境で育った。確かに上級生の言うことは絶対だったし、1年生には殆ど自由がなかった。だけど僕は今でもその先輩達が大好きでたまらない。それは同じ苦しみを先輩達も経験してきたからかも知れないし、2年生になると「自由」が復活できるからかも知れない。強くなれば先輩を差し置いて試合に出れるクラブだったからかも知れない。だから僕自身の中にもそういう馬鹿みたいな「規律」に対して許容できる自分がいるのも確かなのだ。

だけど、中学校にはそういう意味での「規律」はいらない。授業は楽しくて、分かれば、子ども達は自然に集中していくものだ。授業は子ども達を縛り付けるものではない。授業は子ども達を惹きつけるものなのだ。そういう授業をするには勉強することだ。いい表情で、子ども達を惹きつけ続けている先生達を僕は知っている。新座の宝物である。ただ、残念なことに彼らは宝物とは評価されていないかも知れない。子ども達はちゃんと気付いているのだが・・・・。

陵平が生きていれば大学1年生。先生達が全員力を合わせて、同じ指導をしていなければ・・・・・彼はきっと今、青春真っ只中だったに違いない。そのことを僕らは忘れてはいけないのだ。「共通理解」「共通行動」「一枚岩」・・・・管理教育の恐ろしさには先生達も気付いているはずだ。だけどなかなかものを言えない。言える雰囲気がない。そういう学校で育つ子ども達は可哀そうである。