7月2日 (土)  「たかやん議員日記」2005.第184弾!

「たかやん議員日記」2005.第184弾!  7月2日(土)

キノッピー
僕には憧れていた先輩が3人いる。甲神嵒、川島勝治、そして木下保則である。今日は「木下保則校長先生御退職記念祝賀会」に出席させてもらった。祝賀会をリードしていたのは栄小学校の先生達。僕は何度も栄小にお邪魔させてもらったが、いつもと同じように温かくて、ほんわりとした雰囲気がベースにあった。そして先生達のメッセージ・・・・
僕は知らないうちに泣いていた。子ども達とキノッピーとの会話、そして教室で子ども達の暗誦を見ていたキノッピーが子ども達に言った言葉・・・・
栄小学校の子ども達は幸せだったな。栄小学校の先生達も幸せだったな。そして僕達も幸せだったんだなあ。そう思った。

五中時代、キノッピーは僕にとってライバルだった。僕は甲神嵒の剣道部とキノッピーの水泳部を目標にしていたから・・・・。キノッピーはいつも子ども達と泳いでいた。そして一緒に筋トレをしていた。もう一つは「学級通信」だ。その当時、年間100以上の学級通信を出していたのは僕とキノッピーの二人だけだった。だから印刷室で会っては「お、何号まできたか・・・」「お、今日のはなかなかいいな。」とキノッピーに声をかけてもらっていた。ライバルと言っても、ガムシャラに追いかけていただけだから、先輩達は相手にしてなかったかも知れない。

キノッピーというのは子ども達がつけたあだ名。僕のクラスを教えてくれていた時に、子ども達はキノッピーが大好きになっていった。「お、しっかりやってるかな?」キノッピーの“肩揉み”は有名で、授業中に眠そうな子達はみんな“肩揉み”の強烈な洗礼を受けていた。子ども達がキノッピーを好きだったのは、授業が凄かったのだ。子ども達の意見を大事にするキノッピーは決して、子ども達の意見を否定しなかった。「お、そういう考え方もあるな。」「お、なかなかいいな。」僕は授業では完敗していた気がする。

キノッピーはいつも“愛妻弁当”を持ってきていた。それを狙って、休み時間に半分頂くのが僕と本田誠の二人。あの頃はお腹が空いていたのだ。甲神嵒、川島勝治も同様の被害にあっていたはずだ。

僕達テニス部は六中で10年間、毎朝ごみを拾った。キノッピーはそのうち4年間、毎朝僕らに付き合ってくれた。五中ではみたことがないから、多分それが習慣になったのだろう。栄小ではゴミ拾いをしていて、朝の職員会議に遅れることもあったというから笑ってしまう。
泣き虫のキノッピー。今日もたくさん涙を浮かべていた。