8月11日 (木)  「たかやん議員日記」2005.第226弾! 

「たかやん議員日記」2005.第226弾!  8が11日(木)

りじゅん
僕が自分の塾の名前を「りじゅん」とつけたのには訳がある。五中でも六中でも僕は「理科準備室」にいることが多かった。理科の教師達は実験があるので、その準備の為には職員室よりも「準備室」の方が便利だったのだ。実験が無い時でも生物室や物理室で授業をやることが多くなると、休み時間に職員室に帰ることは無くなる訳で・・・・。当然、理科係の子ども達も、テニス部の子ども達も、そしてクラスの子ども達も「理科準備室」(子ども達は“りじゅん”と呼んでいた)に僕を探しに来た。悩みを抱えた子ども達、そして保護者、時には先生達とも「りじゅん」だとゆっくりと話をすることができた。だから放課後などに学校を訪ねてくる卒業生達も、「りじゅん」に戻ってくることが多くなった。卒業生にしてみれば、職員室に知っている先生がいなくても、りじゅんに行けば僕に会える訳だから・・・そういう意味でも「りじゅん」というのは大切な空間だった。

昨日は31歳になったという六中の一期生(僕にとっての・・・)が突然「りじゅん」に訪ねて来てくれた。「開いているようだったので、顔だけ見たくなって・・・」とM君。担任はしたことはないけれど、毎日あのコートで猛練習をした仲間である。名刺を見ると、高田馬場に会社を構え、取締役社長と書いてある・・・。「立派になったね!」「あ、いやお陰さまで・・・」
彼は勉強もできたし、テニスも強かった。あの時の赤ジャージの子達は本当に凄かったと思う。1年365日。あれだけの練習をしながら、成績優秀者が多く、学年で1番、2番はテニス部だったのだから・・・・。

成績と言えば、僕はいつも子ども達と一緒にテストを受けていた。学力テストは大抵1番になれるのだが、中間、期末になると勝てないことが多かった。あの時の赤ジャージの子達の時も完敗した記憶がある。(学年で1番の子は浦和へ行ってもトップで現役で東大へ行った。)試験監督をしながらテストを受ける訳だが、インチキをする子はいなかった。そういうことはしない、させない雰囲気が学校全体にあったような気がする。そして僕が色んな教科を中学校や塾で教えることができたのも、あの頃一緒にテスト勉強をしたからだと思っている。試験一週間前は「朝勉」や「夜勉」でクラスや、テニス部の子ども達と教室で一緒に勉強した。あの頃の僕はどんな塾の先生にも負けない!そう思っていた。