9月17日 (土)  「たかやん議員日記」2005.第263弾! 

「たかやん議員日記」2005.第263弾!  9月17日(土)

応援団
中学校の体育祭をいくつか見て・・・何か物足りないものを感じた。体育祭は体育祭なのだが、何か小学校の運動会のような雰囲気なのだ。何が足りないのだろう・・・・それは応援団の存在だった。五中の紅白の応援合戦は数千人の観客を沸かせたし、六中の紅白の応援団も保護者や教師を感動させ涙を流させた。そして何より子ども達が体育祭に燃えていた。あの圧倒的なエネルギーが今日見た体育祭には感じられなかったのだ。
天気はいいし、子ども達の表情も明るいし、みんな必死で走っているし・・・先生達も一生懸命。僕自身も何かワクワクしてくるのだが、何故か寂しい感じがしたのはきっと彼らが一生懸命やってきた応援団という存在を見ることができなかったからだろう。子ども達のエネルギーの大きさは大人が考える以上なのだ。いつもは暴れまくる子ども達が体育祭ではヒーローになり、そして二学期は落ち着いて勉強する。そういうおまけのような効果も確かにあったと思う。僕が石神井の応援団を持ち込めば、日体大の先生が「エッサッサ」を子ども達に教えた。早稲田の先生は「紺碧の空」を歌わせた。そして「竹林の美」。みんなが知恵を出し合った。
職員室までも紅白に二分されて燃えた体育祭。忘れられない思い出ばかりである。そういう体育祭にもう一度めぐり合いたいと思う。

お先に・・・・
その電話は突然やってきた。札幌の路加子さんからだった。「土肥君がね・・・・」大学時代の親友が癌の末期だというのだ。あと少ししか生きられない。意識のあるうちに友達に会いたいを言っている。そういう電話だった。
僕が奥さんの携帯に電話すると、「今主人に代わりますね。」と本人が出た。「お前、なにやってんだよ!」と僕が怒ると、彼は「すまんなあ。お先に失礼させてもらいますわ。」と他人事のように言うのだ。「ふざけるなよ。何言ってんだよ!お前。」それから先は、ずっと泣いていた気がする。

横浜
僕は午後の約束を全部キャンセルして横浜へ向った。環八から第三京浜に入り、突っ走った。和彦は「おう邑か。久しぶりやな。」とまるで昔と変わらない口調で話し始めた。お互い忙しくて年賀状しか交換していなくて・・・僕達は28年間も会っていなかったのだ。和彦の体には痛々しいほどの管がついていた。それでも目の力はしっかりしていて、そして僕に語り始めた。僕が彼の立場だったら、ああいう振る舞いをできたかどうか自信がない。あとほんの少しの命しかないと宣告されて・・・・一週間後の51歳の誕生日も迎えられる保障がないのだ・・・・・。それを「しゃあないわな。三日前までは、ついこの間までは俺はあと30年生きる積りやけど。骨まできとるで・・・もうあかんのや。」と言うのだ。彼は時々痛みから逃げるようにベットの上での体勢を変え、話を続けた。
「じゃあまたな!」「おう、またな。ありがとうな。」
明日は電車で横浜に行く。28年分の時間を取り戻す為に・・・・。