1月17日 (火)  「たかやん議員日記」2006.第17弾! 

「たかやん議員日記」2006.第17弾!  1月17日(火)

阪神淡路大震災
11年前の今日、僕と小学校六年生の亮は二人でパジェロの中にいた。現役の中学校の教師が住む家が無くて、車の中で息子と二人で生活していたのだから笑ってしまう。その日の朝は特に寒くて、気温はマイナス5度。二人で天体観測をした後、亮は直ぐに寝てしまうのだが、僕はいつも寒くて寝られない。本を読みながら日本酒を飲んで、温かくなった亮の足の熱を感じながら、何とか寝るという状態だった。普通離婚すると子供たちは母親というケースが多いようだが、我が家の子達は娘が母親を選び、息子が父親を選んだ。もっとも娘と一緒だったら車で生活しようとは思わなかっただろうし、あの息子だったからこそできたことだと思う。それ程僕らは一心同体だったような気がする。24時間毎日のように父子が一緒というのは息が詰まるはずだが、僕らは学校に行く以外は本当に一緒にいた。車の中での100日間は辛い日々でもあったが、あの時の神戸の人たちに比べたら屁のようなものだったのだと思う。僕らは水も飲めたし、トイレにも行けた。何より、車の中で寝袋で寝ることができたのだから・・・・。あの日は神戸もマイナス5度。その気温で外で毛布に包まっていた人たち・・・寒くて眠れるわけがなかったと思う。そして何より家族を失った悲しみは計り知れないだろう・・・。僕らはそういう意味では本当に幸せな家族だったのだ。車の中での生活は約100日間。「亮、神戸の人たちのことを思えば、俺達は本当に幸せだぞ!」「そうだね。」僕と息子にとっては忘れられないいい思い出である。

宮崎勉
彼と僕らは有明の森テニスコートで遭遇している。あの夏、有明の中学生のテニス大会に彼は現れた。女の子のスコート姿をローアングルから写真を撮っている男がいるので、注意してください。という連絡が本部に入ったのだ。僕らがその男をコートから追い出し、「おかしな奴が最近多いね。」と話した後、彼は別の場所で犯行に及んだのだ。もう17年前の話なのだ・・・・殺された女の子達は生きていれば成人式を迎える年頃。彼を何度殺しても誰も生き返らないのが悲しい。

政治献金
テレビで証人喚問を見た。国会議員に政治献金をし、質問にはまともに答えられない証人がそこにはいた。営利目的の企業が政治家に金を渡す。儲かる以外に何があるというのだ。それが合法だということ自体がおかしいと思う。「記憶にございません。」とか「認識しておりません」とか議会の答弁特有の言葉がでてきて、笑ってしまった。「記憶にはあるけど、言わないよ。認識してたけど、しているとは言えないよ。」ということだろう。大体パーティーをやって金を作ろう何ていうのはまともな人間の考えることじゃあない。普通パーティーを開いたら、主催者がお客を招待するものだろう。みんな汗を流して働いているのだ。人の弱みに付け込んで、上手い汁を吸う・・・そんな政治家はもういらない。