10月16日 (月)  「たかやん議員日記」2006.第289弾!  10月16日(月)

「たかやん議員日記」2006.第289弾!  10月16日(月)

志木駅
空の熱が下がったので、昨夜は久し振りにゆっくり眠れた。目が覚めたのは5時。外はまだ真っ暗だ。それから髭をそり、パンを2枚食べて、新聞を読み。5時半に家を出た。志木駅に立つのは久し振りである。

5時50分
議会報告を配り始める。「おはようございまーす!」の声に「おはようございます」「ご苦労さまです」とこたえてくれる人がいるのが嬉しい。最初の笑顔は1組の隆一郎。サッカー部のキャプテンはスーツ姿で颯爽と登場した。「おはよう!」「がんばってね」次は6組の正人。やはりサッカー部だ。サングラスを外して、「たかやんじゃん!」というまで誰だか分からなかった。
そして6時半頃、我が2組の佳代子が登場した。「たかやん!」「おはよう!初2組だあ」
次はめぐのお父さん。真っ直ぐに僕の方に歩いてきたから直ぐに分かった。次は晶子。「たかやーん!」とお姉さんと一緒にもの凄い笑顔で登場した。「おはよう」「いってらっしゃい!」こういう笑顔と会うと暫くニヤニヤしている自分がいる。
7時半過ぎ?後ろからいきなり声をかけられ、握手をした。昔同僚だったSちゃんだ。そして直ぐに市役所のKさんにも声をかけてもらった。8時前には陵平の同級生の純にも声をかけてもらった。二十歳の青年はウォークマンのイヤホンを耳から外し、僕に挨拶をしてくれたのだった。

ひばりヶ丘や東久留米と違って、100人くらいに素通りされたこともあったけど、やっぱり沢山の笑顔に会えたし、初めての人もパンフレットを受け取ってくれたし、結構幸せを感じることができた。

2時間10分
ぶっ通しで立っていた訳だから、多少足腰が鍛えられたのかも知れない。志木駅はひばりヶ丘や東久留米より我が家から近いのがいい。明日は多分保谷駅。どんな出会いがあるだろう・・・。

82歳
今日は母さんの82回目の誕生日。朝、電話をすると、少し照れながら喜んでくれた。僕達が小さい頃は「60歳までは死ねない!」と思っていたのだそうだ。両親を10代で亡くしているから、僕らにそういう思いはさせたくなかったのだと思う。父さんが死んで27年。まさか独りで富山に住むとは思っていなかった。もうすぐ母さんを迎えに行く。12月からは新しい家で、朝の散歩を一緒にできる。近くの公園でのラジオ体操もできる。買い物も通りの向こうのドラッグストアーでできる。母さんがやれることがたくさん増える。

非核三原則
自民党の中川政調会長が「核を保有する議論が必要」と言い出した。気が狂っているとしていいようがない。自民党はもう駄目だ。こんな人たちに国を任せていたら、いつの間にか憲法が改正され、いつの間にか戦争に巻き込まれ、いつの間にか核を保有し、いつの間にか「美しかった日本」「人類が住んでいた地球」になってしまう。広島や長崎で死んだ魂に恥ずかしくないのだろうか・・・・どこの国で使われたって、核兵器は人を殺し、自然を破壊し、元には戻せないのだ。

教師の言動
福岡の中二の自殺の誘因が1年の時の担任で、学年主任にあったという記事を読んだ。臨時の学年集会で「先生達が手を抜いてしまった。乱暴な言葉や甘えがあった。ごめんなさい。」と謝った。というが・・・・学年集会で自分たちのことを「先生達」と呼ぶところからして、この集団はおかしいのだ。この学年主任は必ずほかのところでも同じような言動をしている。生徒達にそういう態度の教師は、若い教師達や自分より弱い立場の教師達にも同じような態度をとるものなのだ。
今まで子供たちも親も学校に文句を言わなかったとしたら、それは「先生」として尊敬しているからではなく、「内申」を恐れてのことなのだ。僕自身、「内申」をチラつかせる教師を何人か見てきたが、そういうのに限って、自分のことを「先生」と呼ぶのだ。勘違いも甚だしいのである。
ただ、こんなにみっともない謝罪をしても、自分たちの非を認めない教師集団よりは人間として許せると思う。教師である前に人間であって欲しいと思うのだ。
陵平が亡くなってからも、小中学生の自殺は続く・・・陵平は空の上から、この教師集団をどう眺めているのだろう。そして当時の自分の先生達のことをどう思っているのだろう・・・。     たかやん