10月23日 (月)  「たかやん議員日記」2006.第296弾!  10月23日(月)

「たかやん議員日記」2006.第296弾!  10月23日(月)

自民党
2つの補選で自民党が勝った。テレビの力は恐ろしい。安部晋三の写っている時間と小沢一郎の写っている時間が違いすぎる。共産党や社会党はもうお味噌扱いだ。これじゃあまるで、昔のジャイアンツだ。どこかの知事とゼネコンとの間の贈収賄事件は自民党とは無関係なのか?それとも多選が原因なのか・・・・汚職をする首長に自民党が担いだ知事が多いなら、自民党にそういう体質があるということだ。多選が問題なら、多選を禁止にすればいい。一番いけないのは、よくあることだから・・・と市民の税金をドロボウしたとのと同じような知事達をまた選んでしまうことだ。呆れて選挙に行かないのではなくて、怒って投票することが大事なのだ。


引越しがせまり、クラス会がせまり、OB会がせまり、語る会がせまり、東の受験がせまり・・・・もの凄くワクワクしているのだが、何だか滅茶苦茶忙しく・・・・かと言って、
家のことから逃げるわけにもいかず、不動産屋さんと交渉し、クラス会はどういう訳だか幹事になってしまい、教え子達に連絡を取り、欠席の予定だったOB会にも大好きな先輩から電話があっては「行きます!」と思わず答えてしまう自分がいて・・・受験対策に頭を使い・・・余りにもやることが多くて・・・そういう日に雨。“悩んだってしょうがないんだよ。自然体に力を抜いていきなよ。”雨がそう言って降っているような気がしたのだった。

父さんの時計
このところずっと父さんが使っていた時計をしている。シチズンの自動巻きの時計なのだが、何故かしっくりくる。時間も電波時計のように正確だし、腕にしているとお守りのようで安心感があるのだ。僕が死んでも雪や亮や空が「お守り」として身につけられるようなものがあるだろうか・・・それより何より、「これ父さんの時計なんだ」と自慢されるような父親として死んでいけるだろうか・・・もう直ぐ、父さんの死んだ歳になるが、まだまだだなあと思う。

息子
「先生“二郎のボール”読ませていただきました。いつもありがとうございます。」二郎のお母さんから電話があった。「もう3年経つので、・・・でも読むと泣いてしまうんです。忘れられないんです」「片時も忘れられない・・・」「先生、息子って、息の子と書くからですかねえ。」僕は泣きそうになりながら、二郎のお母さんと話をした。
親が、子どもの人生の結末まで見てしまうことは本当に悲しいことだ。親は子どもの行く末を案じて死ななくてはいけない。そう思った。子どもは親の死を見取らなくてはいけないのだ。52歳になっても、まだ死にたくはない。だけど、息子や娘の代わりにだったら、いつ死んでもいい。そう思うのだ。82歳の母さんにいつまでも元気でいて欲しい。だけど、母さんよりも先に僕が死ぬ訳にはいかない。母さんが死ぬのは怖いけど、僕が先に死んだら・・・母さんは僕より苦しむことになるから・・。

だから、息子達よ。父さんよりも先に死ぬのだけはいけないよ。君たちは僕の未来なのだから・・・僕の未来は僕より長生きしなくてはいけないのだよ。

その未来を簡単に殺してしまうのだが戦争だ。あの戦争で、どれだけの母と父が泣いたのだろう・・・。朝鮮で、ベトナムで、湾岸で、そしてイラクで・・・歴史は繰り返すというが、繰り返してはいけないこともあるのだ。
「よい戦争とか、悪い平和などというものはあったためしがない」のだから・・・。
    たかやん