10月30日 (月)  「たかやん議員日記」2006.第303弾!  10月30日(月)

「たかやん議員日記」2006.第303弾!  10月30日(月)

中二
朝刊でまた「いじめ?中二女子自殺」という見出し。何故子ども達は死に急ぐのか・・・・彼らは死ななくてはいけなかったのか・・・中二という時代の素晴らしさと、その時代の子供たちに接する難しさをあらためて思う。

勿論個人差はあるのだが、子供たちにとって中二という時代はもっとも伸びる時期だということは確かだと思う。精神面でも肉体面でも学力面でも本当に信じられない伸び方をする子達がいる。伸びやすいということは一方で、感受性が強く・・・少しの言葉で傷つくこともでもあるのだ。

「子ども達は“いい言葉”と“いい栄養”によってこそ育つ」という言葉があるが、本当にその通りで、“いい言葉”と“いい栄養”を知らない子ども達は、ちゃんとした大人には育たないのである。そういう意味では“悪い言葉”をいい続けている教師や友人?たちも“いい言葉”をたくさん浴びてなかった人たちな訳で・・・・悲しい人たちなのだ。

“いい言葉”は家では親から、祖父母から、そして兄弟から貰うことが多い。学校では、先生と友達から貰うしかないのだが・・・・。子どもは8時間は寝るから、子ども達の一日は16時間。その内の8時から5時まで学校にいると考えると・・・・16分の9。要するに子ども達の人生の半分以上が学校ということになるのだ。その学校で、先生や友達から“いい言葉”ではなくて、“心が傷つく言葉”を貰い続けたら・・・・・
子ども達が人生の大半を失ったように感じても不思議ではないのだ。

40年前
僕にも中二という時代があった。その時、僕は河合隆慶先生のクラスになったのだ。河合先生は毎日のように僕らに“いい言葉”をくれた。しかも笑顔つきの“いい言葉”だった。友達もよかった。隣りの席に座った江崎さんや井戸さんは才女だったし、テニス部の福良や日暮は秀才だった。「邑、本を読めよ!」「邑君、本は楽しいわよ」僕はそういう友達ができて、本を読むようになったのだ。それまでの僕の偏差値は42くらい。それが河合先生と友達のお陰で軽く20以上UPした。理科は学年で一番にもなった。僕は人生で初めて、「たかむら君は勉強ができるんだね」と言われたのだ。そして部活では白浜先生に可愛がってもらい、テニスの新宿大会では優勝した。あの中二があったから、今の僕がいると思う。僕にとって学校というところは、自分を認めてくれる場所だった。もっとも信頼できる大人のいる場所でもあった。そして大好きな友達とテニスができる場所だったのだ。

学校
だから僕は教師になった。「河合先生」になろう!と僕は思ったのだ。残念ながら河合先生のように「校長」にはなれなかったし、途中で辞めてしまったのだけれど・・・それでも、僕の心の中には今でも河合先生がいる。13歳で担任をしてもらった先生が40年経った今でも心の中にいる。それが教育の力だと思うのだ。僕の仕事は自分の心の中にいる“河合先生”を若い先生達や次の世代の子供たちに伝えることなのかも知れない。  たかやん