11月13日 (月)  「たかやん議員日記」2006.第317弾! 11月13日(月)

「たかやん議員日記」2006.第317弾! 11月13日(月)

二十歳の誕生日
今日は陵平の20歳の誕生日である。陵平は今でも13歳のままだけど・・・・。
当時の二中生の話では、あの頃の二中はほぼ全員が学校でお菓子を食べていたというから、友達があげなければ、とか、友達からもらわなければという話は当てはまらないと思う。だから当時の二中の子で「お菓子をあげた」とか「僕もお菓子を持って行った」とか言う理由で心が重くなっている子には「君達は何も悪くないよー」と僕は言いたい。陵平はお菓子のせいで二十歳になれなかったのではいのだ。

五中、六中と二中
あくまでも僕のいた当時の五中、六中と二中の比較であるが・・・・。明からに違うことは、生徒指導に当たる際の先生と生徒の数の割合である。新座の中学校では今でも学年の教師全員で生徒指導をすることがあるらしいが、五中や六中ではまずそういうやり方はしなかった。

学年全体で何かが起きた時、僕らは教師一人で数人の生徒を担当するのが当たり前だった。しかも、普段の関係から「この生徒は○○先生」「この子は△△先生」と学年で決めていたのだ。勿論自分のクラスのことは担任だけで当たった。他の先生の力を借りて指導などという方法はありえなかった。要するに隠れて叱っていたのだ。だからいつも言っていたことは「俺はこう思う」という言葉だ。「俺はそういうのは嫌いだ」「俺はここは許せるが、ここだけは許せない」僕らはそういう言い方をしていた。
だから、先生達によっては意見が違うこともあるのだ。こういう指導法には異論もあるだろう。それもまた良しである。担任一人が抱え込むことはよくないという意見もあるだろう。勿論かかえこめない時は、仲間に言えばいいのだ。

もう一つの違いは「休み時間にベランダでお菓子を食べた」などというくだらないことで、学年全ての教師が怒るなどということは絶対に無かったことなのだ。そりゃあ、そういうことにうるさい教師はいたけれど、「じゃあ、その件は○○先生におまかせします!」と僕らは相手にしなかった。弱いものいじめがあったりしたときは、気合を入れて説教もしたし、首になるのを覚悟でぶっ飛ばしたりもしたが・・・・そんなくだらないことで怒っていたら、こっちの身がもたないのだ。

「休み時間にベランダでお菓子を食べた」ことで、学年集会を開いたり、親を呼び出していたら・・・どっかのコンビニで万引きした時はどうするのだ?(万引きが多すぎて潰れたり、その中学校の生徒の入店禁止にしているコンビニがあったり・・・)校内で喫煙した時は?郊外だったら?だれかをいじめたら?
少なくでもまともな職人が一人でもいたら・・・陵平は今日、無事に二十歳になっていただろう。
少なくてもそういうことが理解できる人間が新座の教育界のトップだったら・・・陵平の両親は二重三重の苦しみを受けなかったに違いない。そう思うのだ。       
たかやん