11月6日 (月)  「たかやん議員日記」2006.第310弾!  11月6日(月)

「たかやん議員日記」2006.第310弾!  11月6日(月)

陵平のお母さんからのメール

高邑さん

おはようございます。
ホームページを見ました。
豪華なアルバムとなってできあがって、びっくりしています。
それから、写真選びやコメント入れの時に感じた、
ざわざわした感じがします。
これってなんでしょうね。
何とも言えないこの落ち着かない心のざわめきは…。
今までもつきあってきた心の揺れであるし、
これからもしばらく感じるものだろうと思っています。

多くの人がこのアルバムを見ることを想像します。
そして、考えることをやめていたものを考え始めることを想像します。
考えたことを誰かに語り始めることを想像します。
……そういう想像が私をとても勇気づけてくれるような気がしています。

ありがとうございます。

おおぬき まさえ

あれから6年。忘れたい人と、忘れたくない人と・・・・忘れてしまった人と、そして忘れられない人と・・・それぞれの6年だったのだろう。

僕はいつも思うのだ。もし陵平が僕の息子だったらと・・・。亮や空だったら・・・・僕はいったいどうしていただろう。どうするのだろう。死んだ父さんなら、きっと学年の教師全員を殺しにいっただろう・・・戦争へ行っている世代は本当にそういうことを考えるものなのだ。僕にはその血が流れている訳で・・・・自分が怖くなる。だけど本当に怖いことは息子たちが、この世から消えてしまうことだ。自分が人を殺すことよりも、自分が死ぬことよりも、息子達が殺される・・・それが一番怖い。子どもが死んで、親が生きていかなくてはいけない・・・それが一番苦しい。だから戦争はしてはいけないのだ。死んでいく兵士達にも親がいるのだから・・そして爆撃の後には誰かの子供たちの死があるのだから・・・

ただ、あの場面で自分が学校に呼び出されたら、「そんなことで、本気で怒るなよ。本気で怒らなきゃいけないときにどうするんだ」と、あの先生達に言ったかも知れない。息子達にも「相手にするな、ほっとけ!」と言っただろう・・。あの時の二中の教師集団のとった行動は、五中、六中では有り得ない指導だったから・・・・。それが分からないようでは教育を語る資格はない。少なくても教育者であれば、ああいう結末にはならなかったはずだ。日本全国根っこはみな同じなのだ。        たかやん