11月9日 (木)  「たかやん議員日記」2006.第313弾!  11月9日(木)

「たかやん議員日記」2006.第313弾!  11月9日(木)

教育委員会不要論
今朝の朝日の朝刊に「教育委員会は必要?」という記事があった。三者三論でどれもなるほどと思いながら読んだ。

戸田忠雄論にあるように、確かに教育委員会や学校は「教師の論理」に支配されている。「教育しがらみ共同体」である。教育委員会の事務局は現職の教員が仕切り、教育長もまた教員のOBなのだから・・・学校や教師が不祥事を起すと(陵平などはそのいい例だ)、教育委員会は教師側からものを見るのはその為である。もっとも、教育委員会(校長)にとって都合の悪い教師に対しては実に冷たいのだが・・・・。

問題なのは、その教員が子ども達や学校に必要かどうかではなくて、教育委員会や校長達にとって必要か、そうではないかという観点で見られることなのだ。校長や教育委員会にとっていい教員というのは要するに「イエスマン」な訳で、彼らは勿論子ども達のほうは向いていない。そして本当に問題なのはそういう教員が「管理職」になっていくというシステムである。勿論実力で管理職になっていく人もいる。だけど現場の教員達は知っているのだ。実力が無い「イエスマン」が管理職試験に合格していくことを・・・・。

授業が上手で子ども達の気持ちも掴んでいる。そういう教員が管理職になっていくことに異議を唱える人はいないだろう。そういう先輩達を見て、みんな必死に授業を考え、生徒の気持ちを考え、自分もいつかは校長になろう!そう思う。それが自然だ。そしてそういう時代は実際にあった。

教員というのは実際は職人の世界なのだ。意見が多少違っていたって、癖があったって、授業が上手くて、子ども達の気持ちをひきつける人には誰もが弱い。一目も二目も置くのである。そういう校長が少なくなったら・・・・そしてその校長の上の教育委員会にそういう人が少なくなったら・・・学校は崩壊していくだろう。

教員は職人なのだ。自分より技術のない、意欲のない親方には従いたくはない。自分の技術を見抜けないような親方について行きたくは無いのだ。勿論、職人だから、評価するのはお客さん(生徒達)だということは分かっている。だけど、せめて親方には自分の仕事を的確に評価して欲しい。そう思っているのだ。

今、全国の学校に求められているのは、“本物”の親方である。教育委員会に「本物」の親方の教育長がいれば、必ずその地域は伸びていく。「偽者」であれば、確実に落ちていくだろう。学校に「本物」の親方の校長がいれば、必ずその学校は伸びていくのだ。

学校は「職人集団」の世界だ。肌で掴んだものを次世代に伝えていく。それが教員の世界なのだ。そういうことさえ理解できていない人間が校長や教育長になったら・・・・学校に未来はない。

見てくれなんて、どうでもいい。今日本中で求められているのは“熱”のある職人先生、職人校長である。そして、そういう集団の教育委員会である。これが僕の教育委員会論である。

石神と野寺
石神に住んでいるお母さんが、野寺の中学校を見学した。「石神の中学校とまるで違う。本当にビックリした。生徒が一生懸命勉強しているから・・・」僕はその話を聞いて、笑えなかった。野寺の中学校は娘の母校であり、石神の中学校は息子の母校だからだ。

僕は新座の学校をよくしたい。23の小中学校をよくしたいと思っている。悪いところは悪いとごまかさずに認めたうえで、埼玉一、全国一の学校にしたいのだ。
石神のお母さんは続ける。「上の子は石神の中学校へ行かせましたけど、下の子は絶対に野寺の中学校へ行かせます」僕は野寺の中学校に10年いた人間だから、嬉しいことは嬉しい。だけどだ・・・・石神の(実際は石神ではない)中学校にも10年いたのだ。僕にとってはどちらも大切な、大切な学校なのである。そういう思いを持っている人が、校長なり教育委員会にいたら・・・新座の中学校はどんどんよくなっていくだろう。僕は3歳の空を新座の学校に通わせたいと思っている。

新座の中学校の先生が自分の子どもを私立や国立に行かせている。そんな状況はよくないのだ。新座の学校は国立や私立に負けない。だから自分の子どもも新座の学校に行かせる。そういう学校を僕は作って行きたい。あの石神の中学校が「汚くて暗い」とお母さん達から思われていることに、僕は耐えられない。絶対にあの学校をよくしてみせる!世界で一番、僕が愛している学校だから・・・      たかやん