12月18日 (月)  「たかやん議員日記」2006.第352弾!    12月18日(月)

「たかやん議員日記」2006.第352弾!    12月18日(月)

議会最終日
9時から議運があるのを忘れていて、着替えないで2階の廊下を走った。会議室に入ってみれば2番目。遅刻はしなかったが、汗びっしょりのままで・・・・
議運の議題は「議会便り」。今回の一般質問で「いじめや失神ゲーム」を取り上げた議員は八名。その中で7名が議会便りにその問題を載せようとしている。「議会便り」にはなるべく同じ質問は重複させないという約束があるらしい。その調整を各会派で行おうというのだ。結局7名を3名にしようということになり、議運は終わった。

討論
「第19号議案 難病患者に対する公費負担制度継続を求める意見書」に賛成討論をした。困っている人をみんなで助けようよ。そんな当たり前のことを反対する人はいないと思っていたのだが・・・・共産・刷新・革新無所属以外は反対。誰も好き好んで難病になった訳ではない。母さんも膠原病とサルコイドーシスという難病を抱えているが症状が軽いという理由で、支援を打ち切られた。「透析をしている人も打ち切られているんですよ」とは母さんがかかっているお医者さんの言葉。勝手に馬鹿みたいな借金を作っておいて、苦しくなってきたら弱いものいじめ。いつの世の中にも悪代官はいるものだが・・・・。

次に討論したのは「障害者自立支援法に関する陳情書」。厚生委員会では趣旨採択4名。採択2名で趣旨採択となった陳情だ。「こぶしの森」に通う方達の“悲鳴”が聴こえない人が多いらしく、またしても僕の採択すべきという討論は不発に終わった。

質問や討論をしなければ、議会はあっという間に終わる。だけど、それでは議会の意味がない。与党ももっと、もっと自分の言葉で討論すれば議会は白熱して面白くなるのに・・・
昨日の最後の議案は幸弘が人の討論を聞いて、とっさに手を挙げた。僕も幸弘が手を挙げたから、それに反対する手を挙げた。“議会は発言するところ”だ。それでいいと思う。

教育は愛だ
神さんが僕に教えてくれたこと。それが「教育は愛だ」ということ。「教育は制度」ではない。どんな立派な制度があっても、その根底に愛がなければ、子ども達は安心して育たない。荒れる学校には子供たちへの愛が足りないし、学力低下の学校には子供たちへの愛が少ない。神さんはみてくれはひどかったけど、子供たちを心から愛していた。僕達は彼女の背中を見て、育ったのだ。僕は自分のクラスでやることを、学年主任の神さんに相談したことはなかった。勿論校長の中村敞一郎の顔色をうかがったこともなかった。その上の教育長などは誰なのかも知らなかった。当時の僕らはただひたすら子ども達の方だけを見ていればよかったのである。そういう意味では今の先生達は可哀そうだ。学年の先生達にどう思われるかを気にし、何をやるにも上の顔色を見なくてはいけない。そして校長は校長で教育委員会の顔色を気にする。そうしないと出世できないのだから困ったものだ。あの頃は、子供たちを愛した人達が偉くなった。学年主任も学年会で選ばれた。いつからだろう・・・校長が全てを決めるようになったのは。

教育委員会が「共通理解」と「同一行動」という言葉のセットがどれほど危険なのかも分からないのだから困ったものだ。陵平の教訓は生かされてない。今回の議会で僕はそれを確認した。