12月23日 (土)  「たかやん議員日記」2006.第357弾!  12月23日(土)

「たかやん議員日記」2006.第357弾!  12月23日(土)

朝テニス
久し振りに土曜日のテニスができた。いつの間にか、中学生達よりもおじさん、おばさん達の方が多くなっているから笑える。ウォームアップをやって、走り回って・・・クールダウンをしながら大笑いして・・・みんなで免疫力を高めている。

自立
母さんの買い物に付き合った。「ノートが欲しい」というから「自分で見てきたほうがいいよ」と、あえて買ってこなかった。何でもしてあげると、母さんはどんどん弱くなってしまう。だから、なるべく自分のことは自分でできるようにと、色々我慢している。それは空も同じで、何でも言うことを聞いていると、どんどん我が儘になってしまう。自立支援法には「愛」が全くないが、我が家の自立政策には「愛」がある。それが大きな違いである。

命の応援団
今日は陵平の同級生達が初参加の「命の応援団」があった。前回、彼らと会ったのは陵平の6回目の命日。その時はみんなでワイワイやっただけだったが・・・・・今回の「忘年会」は第26回目の「命の応援団」の会合でもあったのだ。あの事件に、大人達がどのように関わってきたのか、そして当時の二中や教育委員会がどのように「子ども達」「命の応援団」に対応してきたのか・・・僕達は、その事実を彼らに伝えたかった。そして彼らしか知らない事実を僕らもまた知りたかったのだ。
僕らは2時に大貫家に集合し、冊子を作り、そして4時過ぎからは料理の準備をした。そして彼らは次々とやってきた。

話は11時近くまで続いた。美味しい鍋をつつきながら、人生を語りながら、僕らは時々6年前に戻り、彼らは中学校2年生の少年に戻っていった。そして彼らしか知らない事実を僕らに語ってくれた。あの時、どんな指導があり、そして彼らが何を感じたのか・・・・それなしに、教育委員会は「あの事件は学校の指導とは関係がない」と言い切っている。常識では考えられないことだと思う。

26回
僕が命の応援団の存在を知ったのは朝日新聞を読んでからだ。陵平が死んでから、二中の先生方や教育委員会に毎回、会合の内容と「参加案内」を届けたのだが、ただの一度もその関係者には参加してもらえない。そういう記事を読んで、僕は(ああ、二中の内情を話せるのは僕しかいない・・)そう思ったのだ。そして初めて参加した「命の応援団」で僕は「学校が陵平を殺したのだと思う」。そう発言した。その発言がもとで、六中のテニス部は廃部に追い込まれそうになり、僕は六中のテニス部とさよならして、子ども達も泣いたのだ。今思うと、本当に理不尽なことだと思う。でも、それでも僕はもうそのことを恨んではいない。今の僕があるのはそのお陰だから・・・・。あのこと以来、僕の愛した新座の教育と全く違う何かが、はっきり存在していることが分かった。その何かと僕は闘い続けるだろう。どんなにごまかしても真実は一つしかない。26回の会合を重ね、僕らはそう実感している。   たかやん