2月12日 (日)  「たかやん議員日記」2006.第43弾! 

「たかやん議員日記」2006.第43弾!  2月12日(日)

ゴミ
昨夜の後始末に一早と快治と三人が8時過ぎに集合した。流石に30人分のゴミとなるとかなりの大量な訳で・・・「明日は燃えるゴミの日だから」と一早が燃えるゴミを大量に持っていってくれて助かった。東京に住んでいる教え子たちから「東京は分別が厳しいですよ。」「新座は当番がゴミの容器を洗ったり、後始末が大変だけど、東京は収集する人たちがちゃんと掃いていってくれるんですよ。」と話していたことを思い出した。新座市内で、宅地造成の為にゴミ置き場が無くなり、自分たちで土地を借りている地区があることも分かった。ゴミの問題は市民に取って大問題の一つだ。3月議会で取り上げることにしよう。

埼玉県テニス協会
県協会の50周年記念パーティーに招待された。昔お世話になった方たちと会えるかも知れない・・・・そう思って大宮に出かけていった。
駐車場で誘導をしていたのが、新豊テニスクラブの浜中さん。勿論歩いていったのだが、最初から笑顔になった。そして中学校でお世話になった藤原先生、清野先生と久しぶりに再会。全中でお世話になったダンロップの熊本さん、小沢さん、関根さんとも笑顔で挨拶した。ヨネックスの丸山さんには今も教え子がお世話になっている。浦和学院の片山先生は同級生。(同じ歳という意味)五中時代から何人もの子供たちをお世話になった関係だ。目の前を背の高い、綺麗な女性が通り過ぎた。「あ、佐野さんだ!」と言うと「あ、お久しぶりです。」とすっかりお母さんになった明子さんが笑顔で挨拶してくれた。五中時代に浦和学院に練習試合に行った時、彼女は高校2年生。アスファルトのコートで子供たちと一緒にお弁当を食べたことを思い出した。今一般で活躍している片桐君や石田君とも話をすることができた。中学時代のテニスしか覚えていないのだが、国体で大活躍したと聞いているから、きっともの凄く強くなったのだろう。浦和北高校の萩原先生、戸田高校の増田先生とも久しぶりに再会した。僕がテニスを始めた頃、本当にお世話になった先生達だ。そして新座ローンの浅海さん、大槻さん・・・縁の下の力持ちで新座のテニスを支えてこられた方達とも話をすることができた。西武台高校で子供たちを教えてくれた丸山先生とも会えた。五中時代に本多のコートで一緒にナイター練習をやっていたことを思い出した。
浅井先生と平山先生は今の中学校のリーダーだ。最初は1校でスタートした埼玉県の中学校テニス。今は40校を越えたらしい。

残念だったのは田所なが子さんと会えなかったことだ。彼女は草加の松原ジュニアで子供たちにテニスを教えた草分け的存在だ。あの井上悦子さんを育てた人としても有名だが、埼玉県のテニスをしている全ての子供たちのお母さん、のような人だった。与野にある自宅に何度も行ったが、いつもテニスと教育を熱く語ったのを覚えている。子供たちも含めて本当にお世話になったので、お会いするのを楽しみにしていたのだが・・・・。

僕はテニスをしてたくさんの人たちと会うことができた。今でも全国にテニス仲間がいる。高校時代のテニス部の仲間や大学時代の先輩、後輩達と会ってテニスをすることが今の楽しみの一つになっている。特にテニス会の先輩達には「情熱」があり「教育」に熱がある人が多く、人間的にも優れた方達がたくさんいらっしゃるので、いつも何かを貰っているような気がする。政治の世界でもそういう方達とたくさん会えるといいのだが・・・・。