4月24日 (月)  「たかやん議員日記」2006.第114弾!

「たかやん議員日記」2006.第114弾!   4月24日(月)

お墓
兄貴と二人でお墓の掃除をした。田んぼの真ん中に我が家のお墓はある。雑草を取って、軽く掃除して、手を合わせて帰ってきた。

お袋の涙
去年は「早く舟見に帰りたい。」と言っていたお袋が、今年は「帰りたい」と一度も言わなかった。大分気が弱くなってきているのだ。もしかしたら新座の方が居心地がいいのかも知れない・・・・。毎回、帰るときは僕らの手を握って涙ぐむお袋。今回はその目が少し弱弱しく感じた。

何度
「あと何回この道路を走るんだろうなあ・・・」「そうだな。」兄弟でお袋を迎に行き、兄弟でお袋を送りに行く。そんな毎年の行事だが、あと何年続けられるのだろ・・・ふとそう思った。お袋が元気でいてくれて、僕らも元気じゃないとこの行事はできない。何度でもこの行事ができるように体には気をつけないと。お袋に負けないように・・・・。

お名前は?
「パパ!おかえりー!」玄関を開けると、空が飛びついてきた。兄貴が帰ろうとすると、「パパは行かないで!」と心配そうな空。しばらく会えなかったから寂しかったのだろう。鱒寿司をみんなで食べた後、「お名前は?」と聞くと「たかむら そらです。」と初めて答えた。「いくつ?」という質問には「にさい」とこたえられるのだが、今まで「お名前は?」という質問には全く反応できなかったのだ。「たかむら そら」はもうすぐ3歳になる。僕と49歳の差。空が僕の歳になると、僕は101歳。その時は僕が「たかむら ともやです」と答えているのだろうか・・・・。あと半世紀、元気に生きなければ・・・・。

英語の問題
小学校からの英語必修が話題になっている。僕が憧れていた鳥飼久美子さんは「日本語で考える教育こそ」大事なのだ、と反対している。語学は必要になればできると僕は思う。そりゃあ僕だって5ヶ国語くらい話せたらいいなと思う。日本語、英語、韓国語、スペイン語、中国語。その5つの言語を自由に使えるようになることが僕の夢だ。だけど日本語と英語以外、殆ど伸びないのは必要がないからだ。使うことがない言語を勉強するのは難しい。そういう意味では、子ども達は苦しい環境にある。英語を使うのは、何といっても英語のテストな訳で・・・そのテストにリスニングがあるとなれば、リスニングのトレーニングは必要なことになるから勉強するしかない。スピーキングのテストはないからやらない、となるわけだ。自分の周りに英語でしかコミニュケーションが取れない環境があれば、子供たちも自然に英語を学ぶだろう。だけど、使う環境がなければ言語を習得するのはよほどの動機が無い限り、無理だと思う。「将来、言語学者になる」「英語の先生になる」「ビジネスの世界で生きるために、今から英語を勉強する」「ハリウッド映画に出演する」そういう子供たちであれば、モチベーションは続くかも知れない。大人が社会に出て、必要にせまられて必死になって勉強するように、子供たちの社会にそういう環境があればいいが、今は日本語だけで充分なのだ。しかも、算数もあれば漢字も覚えなくてはいけない訳で・・・・読み書き算盤の基本に力を入れないで、語学の習得に時間をかけることには僕も疑問を感じている。そりゃあ、国のトップや会社のトップになるエリートには必修科目だとは思うが・・・・。もう一つは先生の問題だ。子ども達は「先生」の能力や人柄に左右されて英語を好きになったり、大嫌いになったりする。優秀な先生を揃えることが大事なのだ。そういう先生が日本全国にそんなにいる訳がない(新座市内にも・・)・・・・英語を母国語とするというだけで、英語の先生になっているのが今の日本の現状だろう。それは僕ら普通の日本人が世界中に散らばって、日本語の先生になるようなものなのだ。
もう一つは今の公立小中学校の「学校崩壊」や「学級崩壊」の問題。そういう状態のまま「英語教育」に走ることは即、失敗を意味する。優秀な英語の先生がいても、素敵なAETがいても、結果は失敗になりかねないのだ。
西戸山中学校1年生の時の英語の授業には緊張感と感動があった。北大1年生の時のドイツ語の授業には緊張感も感動もなかった。今、英語はなんとか話すがドイツ語は全く駄目。話したいとも思わない。早稲田大学で講師をやっている姪はドイツ語を話すが、その気が知れない。最初に会った先生の影響は大きいのだ。全部を先生のせいにしようとも思わないが、大いに影響があるのは事実である。
英語が大好きな僕が疑問に感じているのだから、英語嫌いの人はもっと感じているに違いない。