4月5日 (水)  「たかやん議員日記」2006.第95弾! 

「たかやん議員日記」2006.第95弾!  4月5日(水)

喘息
空の咳がひどくて、朝までずっと抱いていた。小さい頃の兄貴の喘息を思い出していた。僕は目も悪くないし(長兄は生まれつき目が悪い)、喘息もない(次兄は小児喘息)。亮(長男)のように心臓も悪くない・・・何だかみんなに申し訳ないと思った。さすがに少し寝不足かな・・・

おにいちゃん
空を連れて議会事務局へ行った。新しいメンバーの方達に挨拶をした。二人とも感じのいい方達だった。空を見て「顔のこのあたりが似てる。」とTさん。「目はきっとお母さん似ですね。」
大佑が登場して、空と何やら会話をしていた。「おじちゃんにバイバイは?」というと「おにいちゃんだよね?おじちゃんとおにいちゃん。どっち?」と大佑。すると空は「おにいちゃん」どうやら2歳の子どもには、おじちゃんではなくて、おにいちゃんに見えるらしい。僕と大佑の歳の差と大佑と空の歳の差は同じ(25歳)。二人を見ていて何だかおかしくなってしまった。俺も今度大佑から「お兄ちゃん」と呼んでもらわないと・・・。

将棋
今日は小中学生達と将棋を指した。王様と歩三枚で戦ったり、飛車角桂香を落としたり・・・・あの手、この手で彼らに「やる気」を起こさせる。邑家は昔から皆将棋が強くて、一番弱いのが僕。死んだ親父は3段。長男は5段、次男は初段・・・叔父は親父と同じくらい強かった・・・・。そんな中で、僕が生き残るには・・・周り将棋やお金将棋、はさみ将棋しかなかった訳で・・・僕は将棋なんか大嫌いだった。それが変化したのは六中時代の1年目。雨が降って、テニス部の子達が理科準備室に遊びにきていた。丁度囲碁将棋クラブの将棋の駒がたくさん置いてあって、子供たちがそれで将棋を始めたのだ。
「たかやん、将棋できんの?」と言われ、「そんなもんできるに決まってんだろ?」と言って、やってみると確かに強い。要するに見よう見まねで将棋を覚えていたのだ。ところが一番強い子には負けてしまった訳で・・・・悔しくなって、その日に本屋で行って、「ジュニア版将棋入門」という本を買って勉強した。それから子供たちには殆ど負けなかったと思う。理科準備室では英語のH先生ともたくさん将棋を指してもらった。当時は教師達にもそういう余裕があったのかも知れない。
二中時代、教育実習生が僕のところに来たことがあった。僕達はいつも理科準備室で将棋を指していて、実習生担当の教務主任からよく怒られた。放課後真面目に教育を語り、そして将棋を指していた僕らには、何で怒られるのか意味が分からなかったのだが・・・・。僕は「俺に勝ったら全部Aにしてやる」と約束をして・・・・理科の実験の合間に将棋、授業準備の合間に将棋。結局Jは一度も僕に勝てなかった。それでも彼の評価は全部A。彼は授業も上手だったが、子供たちの中に入るのが上手だった。ふざけた教師とふざけた教育実習生だったが、ふざけた教師はその後学校を辞め、ふざけた実習生はその後、東大の大学院に進学したのだった。