4月7日 (金)  「たかやん議員日記」2006.第97弾! 

「たかやん議員日記」2006.第97弾!  4月7日(金)

退院
親友が退院するというので、東京女子医大まで迎えに行った。目白通りを親友の息子の車で走る。子宮癌で子宮が無くなった親友は「残っていた卵巣も取ったの。」と言っていた。三人の子供たちを片方だけの卵巣で産み、そして育てあげていたのだ。「桜が綺麗ね。」そう大泉学園の駅前の通りにはまだ桜が綺麗に咲いていた。曇り空だったけど、とっても綺麗に見えた、今日の東京の空だった。

スカートの思い出
靴のついでに思い出すのはスカートのこと。当時の六中は上級生になるとスカートの丈が長くなり、先生達は指導に手を焼いていた。そこでテニス部の女子に出した指令が「膝より短いスカートを穿いてこい!」。50名を越えるテニス部女子が膝上のスカートを穿いてきて、学校はパニックになった。学校の決まりには「長いスカートを禁じる」項目はあったのだが、短いスカートを禁じる項目はなかったのだ。たったそれだけのことで、学校から長いスカートは殆ど無くなった。長いスカートなど東京ではとっくに終わっていたのだが、田舎の子ども達はそれがツッパリの最前線だと思っていたのだ。

ベストの思い出
五中にはベストを常時着用するという規則は無かったので、六中に来て、夏でもベストを着用するという習慣には驚いた。寒いから着るのがベストだと思うのだが、六中の子ども達は夏でもベストを着ていた。そこで1年2組の子供たちに「男子も女子もネクタイはするな!女子はベストを持ってくるな!」と指令を出した。朝礼の時、僕のクラスだけは真っ白で目立ちに目立っていた。3年生のツッパッた女の子が1年2組に怒鳴り込んできた。「何であんた達はネクタイしないんだよ!」「1年の癖に生意気なんだよ!」とうちのクラスの女の子を蹴っ飛ばした。するとその子は3年生の女の子の顔を張り飛ばしたのだ。六中はまたしてもパニックになった。今でいうクールビズをやったのだが、当時は誰も認めてはくれなかった。子供たちが暑くて具合が悪くなることよりも、つまらない規則を守ることの方が大事だと信じていたのかも知れない。

小沢と菅
小沢一郎が民主党の党首になった。人相が悪かった小沢一郎が最近大分よくなってきていると感じる人も多かったと思う。問題はこれからだ、権力を握ると小泉純一郎のように最悪の人相になるかも知れない。権力を握った時に、いい人相になるリーダーを人々は求めていると思う。理論で人は幸せにはなれない。人は人によって幸せになるのだ。