5月25日 (木)  「たかやん議員日記」2006.第145弾! 

「たかやん議員日記」2006.第145弾!  5月25日(木)

新座美術協会展
昨日はホットプラザで開催されている新座美術協会展に行ってみた。五中時代の教え子のお父さんの絵を見に行ったのだが・・・・素敵な絵が多いのにびっくり。僕は絵が描けない少年だったから、あまり絵のことを言える立場にはないけれど、かなり凄い作品があったのではないかと思っている。

「よっ!久しぶり。」「あったかむら先生!」六中の最初の教え子のT君にも再会した。彼は2年生の時に理科を担任していただけなのだが、何故か印象に残っていたのだ。もっとも教えてなくても自分の学年の子ども達のことは大抵覚えてはいるが・・・・・。

「あら、先生」今度は五中時代の教え子のお母さんとお父さんに会った。「あずまは元気にしてますか?」「はい。介護の方で頑張っています!」彼も僕の学年ではないが、何故か僕の家で受験勉強していた子どもだった。

作品展を見ていて、新座には素敵な才能をもった人たちがたくさんいるのだなあと思った。こういう作品をもっともっと見たい・・・・そう思った。

星川さんのブログ
星川さんのブログを読むのを楽しみにしている。なかなか面白いことを書くからだ。今回のブログは4月7日の幹部連絡会議の助役発言。さてその内容とは・・・・

 「大変気がかりな話がある」と始めて、市の一般職員が、特定の市議会議員と私的に宴席を持っていると市民から複数通報があったことを問題視。公務員の政治的中立性という倫理、公平性、公正性を疑われることのないよう、特定の政治家とは一定の距離を置くことが肝要、と発言している。

 その職員は今回の人事異動に対する不満も述べていたと、「事細かに」助役にチクった市民とは。どうもこの話、ヘンじゃないの?
 
 「必ずしも議員とのつきあいを禁止するものではないが、市民から助役に連絡されていて、いろいろ情報交換していることが推測され、適切さを欠いている状況」と助役。それでは市長と保守系議員などがしょっちゅうゴルフをやったり、職員も市長とプライベートな時間を持ったり。そういうことはよく聞くけれどどうなの。

 第一、市長から議員にならないか、と声掛けられて出てきた「須田チルドレン」ともいうべき議員達。賛成討論を職員に書いてもらったりして、職員がお世話している議員は昔からいっぱいいる。そう言うことは、私から言えば、市政のチェック機関たる議会人にあるまじき、恥ずべきことだ。

 しかし助役が問題にしているのは、保守系議員と職員との「不適切な関係」ではないらしい。そうなると、「特定の政治家」とは、共産党、一人会派の3人、つまり保守系の中田議員、刷新の会から独立した高邑議員、と私しかいない。職員と宴席をもつなんて、酒の飲めない私のすることじゃないし、ね。

 そもそも助役って、市民が通報先にするほど距離の近しい存在だろうか。クレームをぶつけるとしたら、市長の方が「手紙やファクスをどうぞ」と日頃アピールしているだけ、やりやすいのでは? 助役にチクるとしたら、むしろ内部の者ではないか。

 職員にこの話をしたら、やはり「職員も市民ですからね」と言う。なるほど、幹部連絡会議であたかも市民からのクレームであるかのごとき説明だが、職員からすると、これは個別利害の絡む問題。具体的にWHOが知れていることを、助役が公にした事柄なのだね。だけど、助役の言う公務員の政治的中立倫理って、わからんナア。


とまあ僕の名前も書いてあったりして、なかなか面白いのである。彼女の推察によると「特定の政治家」の中には僕もいる訳で・・星川さんは飲めないらしいから、かなりの確率で中田さんか僕のことかいなあ・・・と思ってしまう。そう、市役所には僕の教え子達もかなりいる訳で・・・個人的なかかわりが無い訳ではない。でもまだ誰とも飲んだことはないし、「人事異動の不満」を僕に訴えた人もいないから、僕のことではない。とすると・・・・・そうか!・・・・・そういう推理をさせるところが星川さんの凄いところだ。

しまった!。今夜は星川さんのブログに躓いてしまった。6月議会の一般質問を考えなければいけないのに・・・・。

陵平
マンションから落ちてなくなった小学生の女の子。どうして?何があったの?と疑問に思いながら、やはり陵平のことを思ってしまう。彼女の場合は何があったのか、何が起こったのか、分からない中での捜査である。陵平の場合は何が起こったのか、起こっていたのかがハッキリしていたのに、何が起きたのかわからない・・・・学校には責任はない。学校も教育委員会もそう言い切ったのだから驚く。教育って何なんだろう・・・・間違ったことをしたら、「ごめんなさい」と教える立場の人間達が逃げてしまうのだから・・・・それこそ武士道の欠片もなかった訳で・・・新渡戸稲造も泣いているだろう。