6月17日 (土)  「たかやん議員日記」2006.第168弾! 

「たかやん議員日記」2006.第168弾!  6月17日(土)

指導法
陵平たちに対する指導法はいくつかに絞られる。
1. 事実を確認する
2. 説教する
3. 反省文を書かせる
4. 親を学校に呼ぶ
5. 親に電話で事実を伝える
6. 学年の教師全員で指導にあたる
7. 学年集会で決意表明させる

全て問題がないように見える。しかし事実確認と言っても、仲間を売るようなことをさせていることは問題である。いじめなどの緊急事態の時は必要だが、たかが「アメ」である。

説教はいい。上手な説教で子供たちは泣くこともあるから・・・。「アメ」じゃあ本気で説教する訳にはいかないが・・・下手な説教をしてきたから、子供たちには効かなかったのかも知れない。

反省文も結構である。しかし普通ならそれで終わりである。休み時間に食べた「ハイチュウ」なのだから、「反省文」でチャラ。それくらいが妥当だろう。

親を学校に呼ぶ。論外である。学校にライターを持ってきたくらいで、親を呼び出すのだからどうかしている。

親に電話で事実を伝える。軽いのだ。本当に学年集会で決意表明させるような事件だと思うのなら、家庭訪問という手段を選ぶべきだった。

学年の教師全員で指導にあたる。それこそ「アメ」でこんなことをしていたら、本当の事件が起きた時には自衛隊に出動要請しなくてはいけなくなる。

学年集会で決意表明させる。最悪の方法である。これは体罰よりも悪い。こういうことを中学生を教える先生達が思いつくこと自体がどうかしている。法律で禁じられている体罰よりも遥かに悪い最悪の方法である。これさえ考え付かなければ陵平は死なずに済んだのだから・・・。

若い先生達に伝えたいのは4・6の指導法は普段はしてはいけないということ。親を呼ぶなら自分が行きなさい。学年全員で指導するなら、生徒も教師もバラバラにいくつかのグループに分かれて指導しなさい。そして7は絶対に駄目である。これは指導法には当てはまらない。これだけで「不登校生徒」や「自殺する生徒」を簡単に作れるのだ。
学年集会で全教師が全生徒に説教をする。これはありである。ただ話が下手だと子供たちには伝わらないから、絶対に伝えるんだという気合がないときはやめたほうがいい。

陵平達にとって悲劇だったのは、1から7の指導法を全部同時に使われたことだった。たかが休み時間の「アメ」で「本気」になってしまった教師集団の経験の無さが、陵平達には致命的になった。

そして「共通理解」「共通行動」「一枚岩」に縛られた教師たちは、誰一人として一人の教師として、人間として陵平達に向かうことはなかったのだろう。それもまた子どもたちにとっては致命的なことだった。

一人ひとりの教師達が「学年で決まったからしょうがないけど、私はそうは思わない。」もし担任がそういう教師だったら・・・・陵平は救われたはずだ。しかしあの当時の二中でそういうことを言える教師はいなかったのかも知れない。それ程、窒息してしまいそうな空気の中で教師達も生きていたことになる。

子ども達が思い出すのは「学校」ではない。やはり「先生」なのだ。「共通理解」「共通行動」と叫んだ教師達だって、自分が生徒の時は、ひとりの人間としての「先生」に接してきたはずだ。そういう意味で陵平たちは学校へは行ったが、先生には会わなかったのかも知れない。「共通理解」「共通行動」「一枚岩」これらの言葉の後ろには温かみのある人間が存在しない。

家の中に父親ばかりがいたら、子どもが息苦しくなるように、家の中に母親ばかりがいたら、うっとうしくなるように・・・同じ価値観の中で生きる子どもは不幸である。

「共通理解」「共通行動」「一枚岩」は世界はおろか、日本でも埼玉でも通用しない。本当に狭い世界での、限られた時間での共通語なのだ。

新座の中学校は軍隊でも体育学校ではない。「連帯責任」という言葉は当時の二中で当たり前のように使われていたと子ども達が言っていたが、当の大人たちは連帯どころか、誰も責任を取らないのだからあきれてしまう。「命より大事なものはない」そういい続けていた大人たちが、ものの見事に逃げてしまったのがあの事件の真相である。

それは違う!というのなら、堂々と僕の前で論じて欲しい。僕は誰とでも議論する用意がある。決して逃げたりはしない。

若い中学校の先生達。中学生は色々やるのだよ。昔あなた達がそうしてきたように・・・・教室で授業を邪魔したら真剣に怒りなさい。「勉強をするのはみんなの権利なのだ。それを邪魔する権利は誰にもないんだ!」と。下手な説教をするくらいなら、教室から出してしまえばいい。

休み時間に子ども達と一緒に遊びなさい。そうしたらアメを一緒に隠れて食べることもできるし、いじめの情報も自然に入ってくるから・・・。子ども達の悩み相談が増えるとは思うが・・・。

「教師と生徒は友達じゃあない!」そういう年配の教師がいたら、(そうだ。友達よりも大事なものなんだ)と思いなさい。だから今の瞬間、瞬間の授業、部活、給食、昼休み・・・その時、その時で自分の色々な面を見せることだ。それこそケジメをつけてね。子ども達との時間はもう二度と来ないのだから・・・・・。       たかやん