7月10日 (月)  「たかやん議員日記」2006.第191弾! 

「たかやん議員日記」2006.第191弾!  7月10日(月)

ゴミ
「堀の内球場の隣りの公園の状態が余りにもひどい!何とかなりませんか?」と市民の方から連絡をもらった。早速担当課に連絡し一緒に見に行った。
その公園は確かにゴミだらけだった。滅茶苦茶に壊れた自転車が7台に通学に使ったと思われる自転車が2台放置してあった。テーブルの台ははがされ、滑り台やベンチは放火の跡があった。「中学生や卒業生の溜まり場になっているんですよ」「警察にも見回りをしてもらうように要請しているのですが」「直しても、直してもまた壊されるんです」「撤去した方がいいんでしょうか・・」『それは違うと思います!』

こういう時こそ「教育力」の出番なのだ。公園をゴミ箱と間違え、傍若無人に振舞うことに慣れてしまった子供たちは、まともな「教育」を受けていない。家庭でも学校でも「教育」されていない子供たちは、何をやっても怒られることなくやりたい放題。そしてやがてはそれが凶悪犯罪へとエスカレートしていく。
それでもそういった暴力の対象が物であるうちはいい。それが人間に向ったり、自分に向ったりすれば・・・誰かが傷ついたり、死んだりするようになるのだから。今彼らはSOSを出しているのだ。誰かがそれに気づいてあげないと・・・・。

少年野球をやる小学生の子供たちの心が曇らないように、市をあげてこの問題に取り組んで欲しいと思う。公園が汚れているということは、その市が汚れているのだ。その市の教育力が低下していると世間に宣伝しているようなものだ。あのゴミは県外から持ち込まれたものではない。間違いなく新座市民が捨てたゴミである。同じ新座市民の少年野球に熱心な保護者達は毎週その公園のゴミを拾っているのだ。多分(市や学校が何とかしてよ!ひどすぎるよ、これは・・・)そう思いながら・・・・。

僕が六中にいる間。テニス部の子ども達は10年間、ほぼ毎日ゴミを拾い続けた。大人達がテニスコートの周りに、六中の周りに捨てていくゴミを拾いまくった。ゴミを捨てる汚い大人ようになるまいと、子ども達はゴミを捨てないように育っていった。毎日やっていると、「六中を愛する気持ち」「新座市を愛する気持ち」みたいな不思議な気持ちが育ってくる。そうするとゴミを拾うことが段々嫌ではなくなっていくのだ。そしてちょっと幸せな気持ちにさえなっていく。ゴミを拾うことが楽しいという子にならなくても、せめてゴミは捨てない。そういう子どもたちを市をあげて育てていきたいと思う。

日本を愛する人たちは、決して日本にゴミを捨てない。煙草の吸殻のポイ捨てなんてもってのほかだ。戦前の教育を受けようが、戦後の教育を受けようが、ゴミを捨てる奴らは捨てる。それは「教育勅語」のせいでもなければ「教育基本法」のせいでもない。どんな親や先生に「教育」されたかによって変わってくる。だから「教育は愛」なのだ。愛の無い教育は教育でもなんでもないのだ。             たかやん