7月12日 (水)  「たかやん議員日記」2006.第193弾!

「たかやん議員日記」2006.第193弾!  7月12日(水)

音楽
久しぶりの中学校は新鮮だった。担任するのは2年1組。「大変なクラスですよ」と念を押す校長。でも子供たちは初日から「たかやん!」と可愛い。
ところが・・・教科が音楽なのだ。国語、数学、理科、社会、英語、体育。この6教科ならいいのに・・・音楽。(おい、俺はピアノが弾け・・・ない。)練習してない曲は弾けない。俺に音楽ができるのか?最初のクラスがもう音楽室に待っている・・・弱った。ピアノの弾けない音楽教師なんて・・・。突然ひらめいた!(そうだ。俺にはギターがある。ギターで音楽を教えりゃあいいんだ)そこで気が楽になった。音楽はピアノで教えなくてはいけないなんて、決まってはいないのだ。ふふふふふ。これで毎日が楽しみになるぞ!
そう思った途端、目が覚めた。新座の中学校に臨時採用された夢だった。ははははは。

もう30です・・・
石神ある坂をバイクで降りて行く。信号で止まると・・・向こうでバギーを押したお母さんが、僕を見て首をかしげる。その笑顔を見て、僕もMさんの昔の顔を思い出した。「たかやん、ですよね?」『うん』「覚えてますか?」『勿論。いくつになったの?』「もう30です!」『そっかあ・・お母さんになっても不思議はないね。どこに住んでいるの?』「直ぐそこの一角です。」理科を最後の1年間教えただけなのだが、Mさんがバレーボールをやっていたこととか(多分・・・確信はない)、後半クラスだったこと。緑ジャージだったことなどを思い出した。

緑ジャージ
その時の緑ジャージの子ども達の時、僕ともう一人の理科のTさんとは面白いことをやった。「全クラスを教えてみない?」と二人で4時間の理科の授業を2時間ずつに分けてしまったのだ。そして1分野と2分野に分けて、担当を決めてしまったのだ。だから僕のクラスの子供たちも、Tさんに理科を習うという、普通ならあり得ないことをやってみた学年だった。4時間を4クラス持つと楽。5クラス持つとやや苦しい。そんな相場だったから、二人で9クラスは丁度よかったのかも知れない。ところがTさんが途中、目の手術で入院してしまって、さあ大変。僕は全クラスの理科を一人で全部やることになったのだ。「そんな馬鹿な!」でも本当なのだ。空き時間はゼロ。一度に二つのクラスを掛け持ちでやるのは当たり前・・・・「できないだろ?」それができるのだ。一つのクラスにまずプリントを渡して「はい、この間の授業の復習。やっておいて!」もう一つのクラスに走って行き「さあ、授業だ!気合いれるぞ!」半分終わったところで、「はい、じゃあこのプリントで確認してみよう!答えは後で理科係に渡しておくからね。」と前のクラスに行って授業を始める。そんな毎日を数ヶ月続けた。勿論給料が増える訳でもなく・・・代わりの先生も来なかった。そんな学年が今30歳の緑ジャージの子供たちだった。若かったからできたのだろうが、今だったら問題になっていたかも知れない。子供たちも親も誰も文句を言わなかったから不思議だ・・・。今日はMさんのお陰で、15年前のことを思い出したのだった。

デコピン
悪戯をしてママにデコピンされて泣く空。僕のところに飛んできた。見ると額が真っ赤になっている。抱っこして暫くすると落ち着いた。ところが今度は別のことで、僕に向って「ばか!」と言ってきた。『ふざけるな!』と靴ベラでピシッ!おお泣きしてママの処へ・・・・その後にもママに怒られ、結局僕に抱かれ、その後はママに抱かれて寝た空。反抗期?は暫く続くのかも知れない。